SNSをやめたら幸福度は上がる
ポストする迷惑さを自覚している
日々、発信することが母に関する介護のことばかりなので、受け取る側も、腫れ物にさわるみたいになって、僕のアカウントがタイムラインに流れただけで、うんざりするんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、だんだん、Xやインスタの更新をやめてしまった。
やめてしまったら、やっぱりこころが楽になり、ブログで書くのが、やっぱり一番いいというところに落ち着いた。
僕がXをやっている理由は、ブログのアクセス数を稼ぐためだけで、ブログには検索流入と、SNS流入があって、僕のブログ(このブログではなく『ねっとの知恵』)は、SNSからの来訪者が異常に少ない。
それは僕のXのアカウントが凄まじく弱いからであり、たとえそこでブログ記事を貼ってポストしたところで、誰もクリックをしてくれない。
だから、Xのアカウントも同時に育てないといけないのか、とか考えたら、いいことしか書けなくなって、そうなると人はだんだんつまらなくなる。
それで、メンタルを痛めて・・・なんてことはないんだけど、いい加減にしとかないと、フォロワーだけじゃなくて、友達まで(友達だからフォローしてくれている部分の友達本体を)失う気がしてきたので、もうしばらくはブログ(特に収益ブログ)のPRポストはしないことにした。
書くだけで自分を大切にできるブログ
僕にはSEOで勝てるだけの文章力と、文字数があるのだから、しっかりブログを書いていけばいいというのが、3月ぐらいからの流れだ。
ちなみに、このブログ『共通の話題』なんかは、まったくSEOを意識して書かれたものではないので、アクセスも酷いものだけど、アクセスがないから、好きなことを書けるというのもメリットとしてはある。
一応説明しておくとSEOとは、ブログやホームページをGoogle検索で上位表示させるために、記事やサイトに検索ワードを意識してコンテンツを作り込んでいくことで、僕自身もなんとなくの知識でやりつつ3年ぐらいやっていると少しずつわかってきた感じで、それはそれで面白い世界でもある。
僕にはブログが3つあって、この『共通の話題』と『東京篇』はほとんど誰にも読まれていなくて、『ねっとの知恵』という収益ブログだけは、毎日、それなりのアクセスを獲得している。
『ねっとの知恵』は開設当初から検索されることを意識して、書いているので、それなりのアクセスもあり、アドセンス広告も貼ってあって、収益がある。
『ねっとの知恵』はこの先、どんどんと成長していくと思う。
『共通の話題』や『東京篇』は、検索に引っかかるような構造で作っていないので、誰にも読まれていませんが、本当はこっちをたくさんの人に読んでほしいと思うブログだったりする。

というようなことは人生にはたくさんあって、書きたいものと、書いて喜ばれるものは、やはり違っていて、僕にとっては、『ねっとの知恵』のような悩み系の記事を書くのがとても得意で、この記事が誰かの役に立っていることがわかる一方で、『共通の話題』で書く僕の思いや日々を書いた文芸気質の記事は誰にも喜ばれないという残酷な事実を日々、受け止めないといけないのも言うまでもない。
いまよりずっと若い頃に『東京篇』を書いているときにSEOのことなんか言葉も知らなかったし、書きたいと思うものを書くだけで自分を大切にすることができた。
それで、10年経た今、過去に書いたそれらのブログを読んでみるが、やはり今の文章より面白いのだから、書く心構えとか、こころの静寂というものはとても大切なのである。
書くことで自分が傷つくというのは最悪のパターンで、Xだけでポストするのが続くとだんだんそのサイクルにハマってしまう。

書かないことで得られる裏側の人生=本当はこれが僕の表側の人生かもしれない
映画『キッズ・リターン』のラストのごとく
僕がどういうものを書きたいのかというと、実のところ、僕にはいま、なにも書きたいものがない。
これは本当で、書けなくなったと言ってもいいくらい、書きたいものが浮かんでこない。
それで塞ぎ込んで、介護備忘録や、悩み系の収益ブログの記事ばかり書いていると客観的には思っているけど、それも本当は違っていて、こういったのブログに載せる記事は作業として、どれだけでも書ける。
肩の力を抜いて、パソコンのキーボードの上に両手を乗せただけで、パタパタパタという感じで何文字でも書けてしまう。

実際にこの記事もそうで、薄っぺらいだけで長い文章なら、どんなものでも自在に書ける。
読んでいる人がうんざりしないといいんだけど。
それで、書きたいものが書けないことで、書くことを人生の中心においてきた僕は、停滞したまま時間を過ごしているかというとそうでもなく、
書かないことで得られる裏側の人生=本当はこれが僕の表側の人生かもしれない時間を生きているわけで、
言葉にすると嘘になるかもしれないけど、いまはわりと幸せだったりする。
親の介護で、生活のいろんな欲求が制限されて、行きたいとこも行けない状態でありながら、職場と家の往復の日々だけしかない状態でありながら、東京で自由に一人暮らしをしている頃と同様に、現在も、わりと幸福に暮らせている。
東京に夢破れて実家に戻ってきたときは人生が終わったと思ったし、
また母が認知症になって、父と合わせて1人で両親を介護しないといけない日々が来たときにも人生が終わったと思ったのも本当だ。
しかし、これもいつも書くことなんだけど映画『キッズ・リターン』のラストのごとく僕は「バカヤロー、まだ、始まっちゃいねえよ」という自分を信じている。
もうすぐ50歳になるが、僕は「バカヤロー、まだ、始まっちゃいねえよ」と本当に思う。
それは人生で大きな何かを当てるとか、隠れた才能を開花させるとか、そういうことじゃない。
まだ、うまく表現はできない。
でも、大きな変革を自分に必要だとは思わない。
リタイアはしないで生きていこう
以前は仕事をやめるためには、お金がたくさんあったらいいと思っていた。
それこそFIREをしたいと真剣に考えた時間もある。
働かない状態で、好きなことだけで暮らしたい。
こういう考えが自分から若さや健康を奪っていくことも知らずいた時代の話だ。
働きたくないというちょっとしたなまくらこころが、少しずつ人間をだめにしていく。
いまは、給食調理員の仕事が僕を支えている。
介護で大変なときに、このまま在宅介護で身を削っていたら、頭がおかしくなると思って、飛び込んだ学校給食の世界だったけど、思いのほか、これが僕の性に合っていた。
母親の介護をしているという事実が、一緒に働いている女性たちに受け入れてもらえた理由かもしれない。
正負の法則と同じで、自分にとってマイナスなことがすべてがマイナスに働くことじゃないということもなんとなくこの頃からわかってきた。
それからずっとその仕事を続けている。
母の状態(介護度)が上がれば上がるほど、仕事を続けていけなくなるという危機を迎えたが、それをなんとかこらえて現在に至る。
この仕事を守りたいという気持ちは、以前の僕では考えられないことだった。
そして、働きたくないという気持ちも本当になくなった。
いつか資産形成がこのままうまくいって、働かなくてもいいようになったとしても(55歳予定)、僕はこの仕事か、何かしら自分を健康にしてくれる仕事を続けていくだろうと思っている。

年金もらう頃でも、ウエイターか調理員か、なんかやって暮らしたい
行政書士時代に間違った自由を夢見て、なまくらで、不健康な時間を過ごしたので、やはり外へ出て、人と語らい、身体を使う仕事の方が自分には合っている。
母の喪失から大人になること
ある種の、子供っぽさや、純真さが、なくなった
2026年になってから、このブログを更新するのは、今回がはじめてで、以前の日記から通して読んでみると、かなり心境なり、言葉使いなりが変わっているのではないだろうか。
僕自身も、母の介護を通じて、すっかり人間が変わってしまった実感があるので、おそらく文章も大幅に変わってしまったんじゃないかと思う。
何が違ってしまったのかは、わからないけど、自分なりには、多分、母が認知症になってしまって、母の喪失が僕の心持ちを変えてしまったんだと思う。
ある種の、子供っぽさや、純真さが、なくなったと思う。
50歳にもなる男に子供っぽさや、純真さがなくなるというのは当然だろうけど、僕が文章を書いたり、新しいことをやったりすることには、いつもそういう内面の柔らかさを糧にして挑んでいたので、母の後ろ盾を失ったことで、僕には一気にそういう緩やかな気分はなくなったと思う。
でも、それは悪い変化でもなくて、僕自身は父や母を介護していく上で、自分自身が強くならないといけないという思いで、ざまざまな知恵をつけて、お金の勉強をして、生活を守っていかないといけないというところで、大人になっていったんだと思う。
母は2021年1月から認知症を発症して、それ以前に介護をしていた父も僕が引き受けることになり、そこから僕は事業を廃業して、無職になり、人生を立て直さないといけないことがあり、その間も母の認知症は進行していき、父は入退院を繰り返し、親戚、兄弟は誰にも頼りにできる人はいないのだから、僕ががんばるしかなかったんだ。
こういう人生の荒波を生き残ってきた自負が僕にはあり、壊れそうなこころは何度も持ち直した。
ほんとにほんとに辛かったけど、いまが元気だからいいか。
こころも筋肉と同じで、壊れて、回復して、を繰り返しているうちに、だんだんと強くなっていくもので、僕自身も母の庇護下にいるうちは子供子供して、やさしい男の子だったけど、今ではただの図太いおじさんになってしまった気がする。
おじさんというより、おばさん化している感じもいなめないが。
小説家になることは、空を飛ぶようなこと
そういう僕がいったいどういう小説が書けるかわからないけど、とにかく書こうという気持ちだけはまだ残っている。
そして、いくつか小説に関して言うと。



その前に、このブログは、というか僕(=村川智之)は、小説を書くことをライフワークにしていて、小説家になりたいというのを人生の最終目的地にしていて、21歳から現在まで、書き続けてきているということを一つ知っておいてください(=°ω°)ノ
もちろん、小説家になるというのは、僕にとっては空を飛ぶことに等しいので、滑走路からうまく飛べれば嬉しいこと限りないが、もしこの先一度も飛び立つことができないとしても、離陸前の準備(つまり現在の生活をしっかりと生きている)をしているので、僕の人生が失敗だったとは思うことはない。
それはもう天候の問題だけだったんだと、思えるところまで僕は命をかけてやっていくだろう。
その辺の心持ちは以前から変わっていない。
いつか最終目的地で会おうという約束を僕は忘れていない。
僕の小説で一番のおすすめはこちら→『納豆工場』 村川智之
伝えたいけど、伝えられないから、知っておいてほしいこと
ムーンライトドライブ


認知症の患者のことを世間の人はどれだけ知っているのだろう。
僕は自分の母が認知症になるまで、ほとんど認知症のことは知らなかった。
父の母や母の母が(つまり祖母2人が)認知症になったことから、認知症はわかっているつもりだったけど、孫である僕は、祖母の認知症の段階では当事者ではなかったことがわかる。
そして、母が認知症を発症したときにようやくその苦しみを知ることになる。
ということは、別にいいんだけど、その母を連れての夜のドライブが日課になっていることを少し語りたい。
夕方になると母はそわそわして、「家に帰る」と言いだす。
これは、本当にもれなく毎日、言いだす。
初期は僕もその事実に戸惑い、大きな声を出して、「ここがあんたの家や!」というようなことを言ったこともあったが、今ではもう何も言わない。
もちろん、「ごはん、作っとるから待って!」ということはある。
でも、母がゴネだしたら、ガスの火を消してでも、料理の途中で、ドライブに向かう。
これがいまの僕の人生でもっとも大切な時間でもある。
母を助手席に乗せて、車を走らせる。
およそ20分程度のドライブだけど、母にとっては大切な20分だ。
僕がエンジンをかけると母はいつも「ありがとうな」と何度も言う。
そして、いつも同じコースを走る。
たとえばいつも通る自衛隊の射撃場のカーブに差し掛かったときにふとみる母の横顔をみると胸が苦しくなる。
母はじっとフロントガラスの向こうを見つめていて、自分が今どこに向かっているかの意識もないのだけど、その眼差しの真剣さに僕はかけがえのないものを感じる。
母は今でも母として一生懸命に認知症という病と闘っている。
その魂を母の真剣な眼差しから感じる。
ちなみに僕はこの母とのドライブを、なんとなくムーンライトドライブと呼んでいる。
もちろん、ドアーズの曲から着想している。
Let’s swim to the moon〜uh huh♪ っていう歌い出し。
僕が愛している音楽と、1人で楽しい音楽(=レコード!)


20分の車内で僕はスマホのアプリで色んなものを聴いている。
Podcastで、燃え殻さんのラジオを聴いたり、ナイナイのANNを聴いたり、またYouTubeでリベ大やフェルミ漫画大学なんかで、勉強動画を聴いている。
音楽アプリでは、いつものプレイリストを聴いている。
数年前からプレイリストの曲がガラリと変わって、そこからはずっと変わらずにいる。
カネコアヤノは2018年ぐらいからずっと聴いていて、ライブにも行くぐらい好きなアーティストだ。
それから、踊ってばかりの国は、『ニーチェ』と『orion』という曲が好きで、これもずっと何回も聴いている。
君島大空の『火傷に雨』という曲も僕のプレイリストではとても大事な曲になっている。
最近は、文藝天国、kurayamisaka、などのオルタナティブなバンドの曲も好きで聴いている。
生活にまみれて、食べること(作って食べること、外出は友達としかいかない)、働くこと、実用的な知識(介護や金融、相続法など)にしか興味がない僕が唯一、誰にも合わせることなく、好きなものが、音楽と本(小説!)である。
正直、それ以外のことはどうでもいい。
テレビで何が流行ってるとか、推しのライブに行ってきたとか、ディズニー行ってきたとか、どうでもよくて笑。
新しい音楽に出会えたら、嬉しいし、古いレコードの音の良さを誰とも共感できずに、1人でいいなあと呟いているのがいい。
村上春樹の新刊『夏帆 The Tale of KAHO』が出る、夏が来る。


そして、本のこと。
先日、村上春樹の新刊『夏帆 The Tale of KAHO』が発売されるニュースを聴いて、久しぶりに明るい気持ちになった。
もっとも、僕はいつも、明るいのだけど、プレスリリースされるニュースで明るい気持ちなれるのは、こういうとき(村上春樹関連)しかないのだから、表現として大袈裟でもなんでもない。
これがやってくると毎回、言っているんだけど、そこまではなんとか生き残らないといけない。
がんばって発売日の7月3日(金)まで生きよう、と。
それで本棚から引っ張り出してきて、色々と本を読んできているんだけど、少し前から、一つ前に村上春樹が出した『街とその不確かな壁』という作品を読み返している。
これを以前、刊行時にすぐ読んだのだけど、あまり印象が残っていなくて、いま読み返しているところでも、こんな話だったかあという感じだ。
どうしても『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の印象が強いので、この作品に何が書かれているのかがいまいち思い出せない。
もちろん、それでいいのだと思っているし、自分が好きな作品のランキングからは大きく下へ落ちるが、読んでいる時間はやはり村上春樹の作品であることはには変わりはないので、学ぶべきところが多くある。
僕が好きな世界に住んでいる人


たとえば、すごく感じ入って付箋を貼った場所を引用すると、本当にすごくいい文章だということがわかりすぎて、僕だけかもしれないが、しびれるのだけど、普通の人はスルーするところかもしれない。
ぼくらはそれほど頻繁に手紙をやりとりしていたわけではない。だいたい二週間に一度くらいのものだ。しかしひとつひとつはかなり長文の手紙になった。そして総じて言えば、君の書く手紙はぼくの書く手紙よりいくぶん長かったように思う。もちろん手紙の長さがぼくらのやりとりにおいて、とくに大きな意味合いを持っていたわけではないが。(村上春樹『街とその不確かな壁』より)
たぶん、この文章の切り取りだけでは何が何かわからないと思うけど、この言葉遣いが好きなんです。
箇所切り取って、この言葉が好きというものでもなくて。
この読んでみたバランスで、村上春樹というか、僕が本を読んだり、音楽を聴いたりしながら、ときどき女の子と仲良くなったりする、人生でとても大切にしているニュアンスのようなものをさらりと書いてくれている。
普段、介護のことや、保険適用かどうかや、資産運用のことや、セコイことばかり考えている僕にときどき「おまえがやりたいことはそんなことか」と教えてくれるのが、僕にとっては小説だ。




『ノルウェイの森』を読んだときに、「すごいなあ、どうしてこんなに俺の思っていることをこの人は書いているんだろう」と思っていた。
小さな部屋で、本を読みながら、物語の力強さに圧倒されて、コタツに入ったまま僕は後ろにひっくり返って、しばらく天井を眺めていた。
「すごいなあ」と僕は呟いて、ほとんど何もやる気がおきない時間を過ごしていた。
数人の友人を思い浮かべる。
物語と同じように、僕にも恋をした人もいれば、死んでしまった人もいる。
親兄弟の家族以外に、大切な人が二十歳の頃の僕にはいた。
いつも彼らがそばにいてくれた。
いまでは僕らは離れ離れになってしまったけど、僕が書くことはいつも彼らのことばかりだった。
そういう思いを、僕は田舎で年老いた両親と暮らしているうちに忘れてしまっているのではないかと思うことがあるが、決してそんなことはない。
もし、誰かがこのブログを見て、こころあたりがあったら、少しだけこころに火をつけてもらえたら嬉しい。
大学3年生の僕は、毎日、家に帰るたびに友人からやってくるエアメールを心待ちにして、学校であったこと、話さなきゃいけないことを、たくさんの便箋に、たくさんの文字を書いた。
こういうことを遠い記憶として扱わないのが、小説の世界で、僕はいま、介護生活でがんじがらめで動けないけど、こころは死んでいなくて、ワールドワイドだった僕らのことを決して忘れていない。
彼らとは今はLINEで繋がっているけど、話すことはなにもないというのが現実で、僕らがこころを同期していたあの頃に、週に一回のエアメールに書ききれない思いとして一生分の話をしたんだろう。
本当はこのゴールデンウィークには、YouTubeをはじめて、近況を報告するつもりだったんだけど、やっぱりやめといた。
僕にはたくさんの人に伝えたいようなことは何もない。
本当に一掴みの人々にだけ僕の温かい言葉が届けばいいと思っている。
それは東京にいた頃からずっと同じで、今もそれは変わらない。



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