長い年月をかけて僕が誰かとわかりあえてると思う瞬間。言葉じゃない、何か。

一生懸命に語りすぎる、といつも思う。

言葉だけに頼りすぎる、ともいつも思う。

最近、特にいっぱいいい音楽を聴いているからそう思う。

音楽を聴いて、こちらが受け取れる分だけで十分だ。

ディランがそうだった。

ステージに立って、ただ歌って帰る。

それがすごくいい。

カネコアヤノもそうだった。

僕はそれを見て感動して、仕事まで辞めてしまった。

歌っているのを見ているだけで、言いたいことはわかる。

そういう人はいる。

村上春樹がラジオをやっているけど、最近はあまり聴いていない。

別に思うところはないが、やはり小説が全てだと感じるから、その純度を保ちたいからかもしれない。

村上春樹の小説には何もかもが詰まっている。

それとは少し角度は違うが、菊地成孔のラジオ(もう終わったけど)がめちゃくちゃ面白い原理はどうなんだろうと、考えたけど、結局、彼は一生懸命語らない、

言葉に頼らない。

逆に言葉なんて馬鹿にしている。

だから、面白い。

彼は自分で音楽原理主義者と言っているぐらいだから、多分、そういうことなんだろう。

言葉では何も伝わらない。

そのことに多くの人は気づいている。

テレビや新聞が伝えているのが言葉であることにもそのうち僕らは気づくだろう。

僕は好きなことをやろう。

本を読んで、音楽を聴いて、好きなだけ寝よう。

仕事もうまく行っている間は続ければいいし、うまく行かなくなったら、また探せばいい。

本当にそれだけのことだ。

今日は友人が誕生日だったので「誕生日、おめでとう」と、LINEを送ったら、「サンキュ」とだけ返信。

四半世紀かけて短文を競う仲になった。

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