『それから』を最後に漱石はもう『三四郎』のような快活さを取り戻すことはない

『それから』を読んでいる。

漱石の小説は結婚にまつわる話がずっと付き纏う。

そうして定職につかない男の話と、それを是とする文明批評が繰り返される。

読んでいると、関東大震災や太平洋戦争の前の時代はわりと豊かな時代だったんだと思う一方、どうも、今とそんなに変わらない倫理観でもあったような気がする。

世間というか、公な倫理的な見解は古代から随分と洗練されてきているが、市井の民意というものは、それに追いついていない。

ある観光地が人でいっぱいで、儲かって嬉しいという人がいて、そこへくる観光客のマナーが悪いと苦情を述べる人がいるニュースを見るたびにそう思う。

これは、どちらの時代がいいとか、悪いとかの話でなく人というものはそもそも変わっていないんだろうという話だ。

と、まだ書きたいことがあるが、まとまらない。

『それから』は僕にとって特別だ。

漱石の悩みが少しずつ深みに入る作品。

これを最後に漱石はもう『三四郎』のような快活さを取り戻すことはない。

そして『それから』『門』『こころ』と続く深い深い水たまりの中へ沈んでいくことを僕らはやめられない。

読者はこちらへ戻って来れるけど、作者はあちらへ行ったきりになるという怖さを僕はまだ知らない。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次