文学青年としては不遇の時代かもしれないけど「小人閑居して不善をなす」の言葉の通り、忙しさが、様々な不善を回避してくれている。

「小人閑居して不善をなす」

山口恵以子さんの『いつもで母と』(写真参照)という本の中にあった言葉だが、人間は忙しくしてないといけないみたいな意味だろうか。

山口さんのこの本には僕は随分、勇気づけられたから、色んな人に話したいのだけど、境遇が母との関係が親密な親子じゃないと響かないかなあと思う。

そういう意味では僕にとってはど真ん中のストレートの内容でした。

親の介護が始まるまで、随分とぼんやり生きてきた。

いつも暇でボォーッとしてるのがずっと好きだった。

特に都会で暮らした休みの大半は公園や喫茶店でコーヒーを飲んでいた。

あくせくしないというのも生き方だと思っていたから。

それは今、正しい道だったのか、誤った道だったのか、なんとも言えない。

今は、だいぶ色んな趣向が変わってしまったから。

コーヒーも朝昼ぐらいまでしか飲まないし、時間があればジャージに着替えて歩きに出かけるし、朝も早起きになり、ヘルシーな暮らしをしている。

学校給食調理員をして、朝早くからたくさんの野菜と格闘している。

今を忙しいかどうかを言うと、ボォーとする時間がほとんどないことから、かつての文学青年としては不遇の時代かもしれないが、「小人閑居して不善をなす」の言葉の通り、忙しさが、様々な不善を回避してくれている。

日常の瑣事に気をかけていることがない。

母のこと、父のことを考えることが全てかもしれない。

正しい姿勢かどうか判然し得ないが、俺が望んだことじゃない。

でも僕が望んでいることは、このまま平穏で日々が過ぎることだ。

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