ブックオフに久しぶりに行った。
たぶん、4年ぶりだ。
5年ぶりかもしれない。
資格を取ろうと思った昔から本を無作為に買うことがなくなったからやっぱり5年ぶりだ。
欲しい本があったわけでなく、読む本を探しに来たんだが、やっぱり5年も足を運んでいないということはそれなりに理由があったんだと、久しぶりに足を運んでわかった。
出たばかりの新刊が平積みされているアウトレットの本屋で、本を探している自分に僕は違和感を感じて、頭がくらくらした。
僕は今何に加担しているんだろうか?
買おうと思っていた文庫の新刊が700円のところ、500円で売っていた。
考え方の違いだが、いつもの書店で定価で買う方が自分の気持ちのためにもいい気がした。
数字にこだわりすぎて数字しか見ていない自分に気づいたとき、ふと我にかえる。
僕の給料が、10万、20万増えたところで、社会保険料や年金、税金などの割合が増えるので、手元に残るものはあまり変わらない。
ということを考えると、賃上げとか声を上げているけど、数字はあまり気にしないことが懸命である。
こんなことを思うのは、僕が今、昔みたいにそれほどお金に困っていないからかもしれない。
もちろん、お金に困っていないというと語弊があり、反感を買うから言葉を変えるが、生活が苦しいというものでもない。
苦しくならないように僕なりに工夫をしている。
生命保険はとうの昔にやめたし、保険も車のネットの任意保険だけだとか、携帯料金290円とか、禁酒禁煙、外食はほぼしない、ファーストフードも食べないユニクロなどで服を買わないとかいう暮らしを続けてようやく成り立つ暮らしだから、好きな本の1冊や2冊、新刊で余裕で買えるわけだ。
4月の村上春樹ももう予約したし、新玉亭にも定期的に通っている。
だからと言ってやっぱりそういう暮らしに慣れると心がひもじくなってくるかというとそうではなく、生活はだんだん楽になってくる。
だって、時間がたくさんあって何も欲しいものがないんだもの。
食費以外、ほとんど使わない。
スーパーで買って自炊しているから、エンゲル係数が高くなればなるほど消費税も8%だとか思い、政権を批判しながらも軽減税率の恩恵を受けている。
本当に世の中には無駄なものばかりだ。
無駄が経済を活性させるという意見があるが、価値観が古い。
経済を回すためにお金を使うという考えは本当に正義なのか、考えた方がいい。
僕が毎回、チャンピオンのスウェットを着ていると笑う人がいるが、めちゃくちゃ自分に似合っていると思っている。
毎年、4000円で、1着同じグレイのスウェットを買うスタイルを今のうちに笑うがいい。
ユニクロで2000円の安い服を春夏秋冬で何枚買うか知らないがそれは自分で選んで着ている服なのか。
問いかけてみるといい。
僕が望んでいるのは、やはり安定ではなく、不安定さの中にいる自分をなんとか真っ直ぐ立たせることで、こんなこと言っているが、僕はしょっちゅうコケている。
そしてケガもしている。
さて、寝よう。
書きたいことが書けてわりとスッキリとした。
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