大切な本やレコードだけは売らない
仕事帰りに、古本屋や中古レコード屋をハシゴして、3日に1回は何かを買っていたのは、もう10年も昔の話になる。
東京で暮らしていたときは、ネットの中のことなんか関係なく道端に色んな話題や見識があった。
スマホなんか持ってなくても、色んな人と繋がれた。
今の東京がどうなのか正直、あまりわからない。
今はごく一部の限りられた狭い地域で年老いた家族と肩を寄せ合って暮らしているから。
古本屋で本を買うことは一切なくなり、図書館とネットで、事足り、レコードは昔から持ってるのを時々聴いている。
マイルスばかり。
新しい音楽はもっぱらApple Musicで聴いている(2024年9月現在はSpotifyを使っています)
レコードもCDも買うことはなくなった。
そして読まなくなった本やCDをメルカリやなんかで売って(レコードは売らない)どんどん自分を正当化している。
そのうち薄っぺらい人間になるだろう。
色んなことは先まで経ってみないとわからないけど、残るものは残るし、残らないものは消えていく。
『アルチザン』と『メロディーズ』
というようなこと言ってはみたが、今ある価値観を僕は肯定的に捉えているわけではない。
どちらかと言えば懐疑的だ。
しかし、懐疑を唱える自らの言葉がまるでない。
山下達郎が今年の夏に、サブスクは死ぬまで解禁しないと宣言した時、僕はそのことで彼がミュージシャンの中で一等賞をとった気がした。
少なくとも僕のCDのコレクションの中では売りに出されることないCDとして、うちの棚に死ぬまで残るだろう。
僕は『アルチザン』が大好きで、ずっと手離さずに持っていた。
サブスクが解禁したとしても、中2の時に買ったCDだから大事しているだろうけど。
『メロディーズ』も一生、手離さない。
(『クリスマス・イブ』が入っているアルバムだ)
『アルチザン』『メロディーズ』この2枚は僕の達郎の中の達郎である。
サブスク解禁しないのは、彼の哲学であることは、ファンは理由を察するまでもなく達郎はずっとそっち側にいる人だよ、と最初から理解している。
つまりあらためて懐疑的な言葉にするまでもないわけだ。
今年の前半、僕は仕事もほとんどせず何もしてなかった。
というかこの2年、何かをした記憶がほとんどない。
色んなことに懐疑的で何もできなかった。
ずっとメジャーリーグの試合を見ながらモーニングコーヒーを飲んでいた。
だからメジャーリーグのことはわりと詳しい。
今だって何かをしているわけでもないのに仕事をしているだけで、後ろめたさがないのは、今こそ僕が堕落しているからじゃないかとか考えている。
休日の散歩に出かけた時だけ、唯一、自分は間違っていないと思える。
山下達郎がサブスク解禁しない宣言がどれぐらい僕に勇気を与えてくれたか。
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