ライ麦畑のキャッチャー、ただ僕はそういうものになりたいんだ

20年ぶりの『キャッチャー』

本の後ろの奥付けを見たら2003年4月20日発行になっている。

その時、新刊で買って初めて読んだわけだから、再読に関しては20年ぶりというなんとなく、自分自身の関心が全くブレていないことに驚く。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を再読している。

しばらくずっと自分の文章について考えて(半分悩んで)いたところ、村上春樹のインタビューで小説は、やはり文体が全てであるということを読んで、そうかやはり文体かと思って『キャッチャー』に回帰したわけだ。

前回読んだ時は僕は、まだ子供だった。

正直、あまりピンと来なかったというのが感想だった。

今は、その頃より多少は大人になっている。

そしてサリンジャーは子供にはわからない青春文学だと今、読みながら感じている。

もちろん、相当の大人になるともっとわからなくなると思うのだが。

とりあえず今回の再読ではいい時間を過ごしている。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み終えて。

後半は一気に読んでしまった。

休日で時間があったからという理由なんだけど、ダラダラ読む内容の小説じゃないなって、週の半ばに思っていて、今日たまたま時間ができたので読んだ。

面白かったんだろうか。

でも、やはりいい部分があり、それがあるから、この小説は手元に置いて、再び読んでよかったと思っているんだろう。

I’d just be the catcher in the rye and all.

『ライ麦畑のキャッチャー、ただ僕はそういうものになりたいんだ』

というのが、主人公のセリフにあって、それがこの小説のタイトルになっている。

とても美しい文章だと思ったから、英文を書き留めた。

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