自由が溢れていた

近年は、東京へは行けてなくて、19年以来、街へ出ると言えば名古屋だ。

東京からの友人も名古屋へ出張の時に声をかけてもらっている。

それでも1時間半はかかる。

今年の春に約2年半ぶりに電車に乗った時は、結構、感動した。

人生でこんなにも電車に乗らない時期はなかったと思う。

次いで5月に金山にある日本特殊陶業市民会館でカネコアヤノの単独演奏会を見て、これにまた感動した。

登場してから、一言も喋らずずっとギター一本で歌い続ける。

生の演奏の凄さというのは生で聴かないと説明ができない。

この日、僕は行政書士を辞めようと決意した。

それぐらい彼女の歌には自由が溢れていた。

なかなか遠出が難しい中、無理を押して弾丸で行って帰ってきただけの名古屋だったけど、行ってよかった。

ときどきそういう体験はどこか遠くへ連れていってくれる。

映画でも音楽でも小説にはそういう力がある。

作品が及ぼす影響として、インナートリップと流行りの言葉があるがそれとはもう一つ違う。

インナートリップはどこかへ連れて行ってくれて、元の場所へ戻してくれるけど、僕が言うもう一つの体験は、どこかへ連れて行ってくれて、もう最初にいたところへは戻れなくなることを言う。

初めての一人旅とかがまさにそうだろう。

それは幸せなことであり、不幸でもある。

しかし、人生はその両方を知らないといけないからやっぱり必要なことなんだと言いたい。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次