大きな世界の本流に立ち向かわないと自分を成立させることができないなら、その流れから外れるしかない。

吉本隆明の『ひきこもれ』という本を読んでいたら、自分が今、働いて、毎日、身を粉にして健康的な暮らしをしているけど、僕はやっぱり社会へ参画していないと思う。

同時に社会で起きている問題に全く共感も同情もできていないのは、うち(家ではなく自分の内)にひきこもって、一人前になる準備をしているからだ。

アルバイトで生計を立てている自分を社会人じゃないという偏見は持っていないが、僕はやっぱり自分は普通の社会人ではないという自覚がある。

というか、サラリーマンにはなりたくないと思っていて、もともとなれないし、それ故、誰も僕を一人前の大人と認めてくれないだろう。

あるとき、介護をしている僕に対して、親戚の人間は、お兄さん二人は仕事も家庭もあるから仕方ないと言い放ったが、僕にも一応、仕事も家庭もあるのですが、と言うが、僕のはアルバイトだし、家族も高齢者なので、大事な家庭とは認められないのだろう。

まあ、好きにジャッジすればいいとも思う。

彼らはいづれどこかで僕のしたたかさを知るだろう。

でも、特定の何かをわかる人間というか、本流の世界から外れたことの価値を見出すことに関しては、僕が人より目利きがあると認めてくれる人がいて、そういう人は僕にはずっと不幸で、独身で、ひきこもりの状態でいてほしいと思っていて、僕がその状態でいる限り、彼らは僕をある種の価値ある友人として大事にされる、ということを数年前に発見して、ずっとそれに甘んじていたが、今年になって、一つ自分にとって大きな評価に値する出来事があり、それについてずっと考えていて、僕がもし今後、ブレイクスルーするとなると誰も喜んでくれる人はいないなと真剣に思って、けっこうな期間、悩んでいた。

ちなみに僕は今、わりと幸福に満ちているし、独身だけど、結婚をしたいとか思っていなくて、パートナーもどうかなあ、時々、いたらいいなと思うことがあるけど、今はマストじゃないから、たぶん今後もずっと一人だと思う。

そして今日も身近なところで、ある女の誰かがある女の子の誰かに早く結婚しなとか言っていたけど、僕は気の毒に思った。

大きな世界の本流に立ち向かわないと自分を成立させることができないなら、その流れから外れるしかない。

そして今、僕は自分が立つべき亜流の場所を見つけつつある。

が、明日からまた少し休みになるので、久しぶりにまた自分探しをしよう。

今年こそ『源氏物語』を読もうと思っている。

世間で囁かれていることがいかに、どうでもいいことかわかるだろう。

もののあわれ、こそが人生だと。

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