というようなことを昨日は書いたんだけど、今ある価値観を僕は肯定的に捉えているわけではない。
どちらかと言えば懐疑的だ。
しかし、懐疑を唱える自らの言葉がまるでない。
山下達郎が今年の夏に、サブスクは死ぬまで解禁しないと宣言した時、僕はそのことで彼がミュージシャンの中で一等賞をとった気がした。
少なくとも僕のCDのコレクションの中では売りに出されることないCDとして、うちの棚に死ぬまで残るだろう。
僕は『アルチザン』が大好きで、ずっと手離さずに持っていた。
サブスクが解禁したとしても、中2の時に買ったCDだから大事しているだろうけど。
『メロディーズ』も一生、手離さない。
(『クリスマス・イブ』が入っているアルバムだ)
『アルチザン』『メロディーズ』この2枚は僕の達郎の中の達郎である。
サブスク解禁しないのは、彼の哲学であることは、ファンは理由を察するまでもなく達郎はずっとそっち側にいる人だよ、と最初から理解している。
つまりあらためて懐疑的な言葉にするまでもないわけだ。
今年の前半、僕は仕事もほとんどせず何もしてなかった。
というかこの2年、何かをした記憶がほとんどない。
色んなことに懐疑的で何もできなかった。
ずっとメジャーリーグの試合を見ながらモーニングコーヒーを飲んでいた。
だからメジャーリーグのことはわりと詳しい。
今だって何かをしているわけでもないのに仕事をしているだけで、後ろめたさがないのは、今こそ僕が堕落しているからじゃないかとか考えている。
休日の散歩に出かけた時だけ、唯一、自分は間違っていないと思える。
達郎がサブスク解禁しない宣言がどれぐらい僕に勇気を与えてくれたか。
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