身体を休めるつもりだったが、なかなか休まらない。
地区の大掃除でたくさんゴミを拾った。
なんで道端にあんなに缶やらペットボトルが落ちているんだろう。
草むらにコンビニの袋ごと、弁当やらなんかのゴミがまとめて投げてある。
僕ならテッシュが風に吹けても追いかけて拾うけどなと思い、自らを正当化してみるが気分が悪い。
海のプラッチックゴミが多いのとスーパーマーケットで配るビニール袋をやめるのと関係あるのが、いまだにわからない。
スーパーマーケットが海の上にあるのならその理屈はわかるが。
とか言ってもしょうがないか。
言いたいことはだいたいわかる。
大人だから。
だからと言ってゴッホの絵にペンキをかけてはいけない。
さて、最近の音楽はVaundyがいい。
踊り子、瞳惚れ、napori、この辺を聴いたら、中毒になる。
中毒といえば、朝のラジオで、SNSをやめたら幸福度は上がると誰だったかが言っていたが、多分それはほんとだろう。
またそれとは少し違うかもしれないが、面倒臭くても少し足を伸ばして、直に手にとって、自分で確かめるというのは、たまにはいいものだと今日は思った。
そうするとインターネットで買うものを、すぐに買わずに、熟考して、結局、買わないことが多い。
本なんかは、もう最近は借りてばかりだと思う。
というか、手元に置いておきたい本は先の20年で集めた。
余生はその本たちをいかに深く読んでいくかが課題である。
もちろん、新しいものも読んでいかないといけないが、実際、新しいものはそんなにない。
容れ物は新しいが、中身はなんとなく知っているという感じだろうか。
そんなこと言ったら、僕の書いていることも誰かがいつかどこかで書いたことの焼き回しだろ、って言われたら、そうだよとしか言えない。
それでも、何かを書きたいなら自分が信じる言葉をなぞればいい。
書くことは人へ伝えるだけじゃない。
書くことは自らへの慰みでもある。
自分に一番効く言葉はやはり一番好きな人の言葉だろう。
いま僕は自分のために書いている。
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