新しい言葉というのは、僕自身が過去に失ってきた言葉ではないだろうか

またずっと小説を書いていました。

花粉症で鼻と目がやられていますが、深夜パソコンに向かい合っているときだけは、生活からも花粉症からも自由です。

でも最近、朝の太陽の差し込みが変わってきたせいか、戸を開けたら、すぐに目が覚める。

次の村上春樹の新刊を読み終わる頃には、僕にも新しい言葉が見つかるかもしれない。

ただ僕は思うのだけど、新しい言葉というのは、僕自身が過去に失ってきた言葉ではないだろうか。

中学時代に聴いていた音楽なんかを聴いていると、ときどきそう思う。

中学時代はきちんと自分の言葉を持っていた。

たしかに好きだというのがわかっていて、好きという言葉が口にできなかっただけで、好きになること自体にためらいはなかった。

だから今がダメだというわけでもなくて、今のなんとなく言葉にできない感情と中学時代のなんとなく言葉にできない感情との温度の差をぼんやりと考えていた。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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