アメリカ合衆国誕生の地、フィラデルフィアへ足をのばす。再び、エドガー・アラン・ポーと出会う。エレオノーラという詩にふれる。

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1998年のアメリカ旅行 第7章

9月4日 ボストンをあきらめて

1日1日と滞在を延ばしてきたが、どうやらボストンにおいては僕の求めるところにある刺激に遭遇することはないようだ。

泊まっている宿の値段から考えると僕はこれ以上ここに居るわけにはいかない。

仕方がないが、ボストンをあきらめる。

ボストンは僕が訪れた街の中で最も綺麗な街だった。

それだけの言葉を残し、僕はニューヨークへ向かった。

いよいよ旅も終わりかと思うと少しでも悪足掻きをしたくなり、僕はニューヨークで再びバスに乗り込み、フィラデルフィアを目指した。

バスに乗ること2時間、色々な行程は今さら何ひとつ僕に感動を与えず、バスが止まるとともに、僕もフィラデルフィアに着いた。

おそらくここが最後の訪問地になるだろう。

合衆国誕生の地、僕はここで何か見つけることが出来るだろうか。

何か人に話が出来るもの、そんなものに僕は出会いたい。

僕の6番目にあたる都市フィラデルフィア。

外からはトランペットでもなければ、サックスでもない、バイオリンのやさしい音色が聴こえてくる。

どこかの夜とは違っている。

期待しよう、フィラデルフィア。

4 Sep 1998

9月5日 エドガー・アラン・ポー

昼夢みることの出来る人は、夜だけしか夢をみられない人には知られぬ色々なことを知ることが出来る。彼等の灰色のヴィジョンのうちに彼等は永遠とそのスリルを垣間見る。そしてそれからの目覚めのうちにそれが大きな秘密を知るまぎわであったことを自覚するのである」『エレオノーラ』エドガー・アラン・ポー

これがフィラデルフィアにおいての出会いのような感じがする。

今日、彼の家を訪れた際にもらった日本語の案内の紙の中に僕はこの文を見つけた。

この短い文の中に込められた他ならぬ彼の感性に僕は恍惚と一枚に用紙に入ってしまった。

言わんとするところが手にとってわかる。

久しぶりにこのような気分になった。

ボルチモアにおいても彼の墓と家に行ったのだけど、その時は何にも感じることが出来なかった。

ここでこの文に会ってなかったら僕は彼を素通りしていただろう。

彼は「この質素な家で過ごしたひとときが、人生の中でもっとも幸福だった」とフィラデルフィアを振り返っている。

実際、彼はこの地でわずか1年の間で短篇31作も残している。

そんな土地での出会いを僕はどういう風に表現するだろう?

「質素な家」と彼が言うほど質素でないこの家、僕の知っている日本人のほうがよっぽど質素な家に育っている。

しかし、それはただの個人的描写、描写されても描写でないもの、僕は彼のものごとに対する愛着のことごとくに共感するだろう。

小説家たるもの大袈裟でなければならない。

大袈裟になれない者、そういう者はおとなしく歩み寄る術を体得し、自らを正当化し、夜見る夢だけ抱いて眠ればいい。

5 Sep 1998

9月6日 いつか本と旅する日々

旅に疲れて

3日間にわたって聴いたバイオリンも今夜で終りだ。

明日、ここを発つ。

もう少し居てもいいのだが、今日一日街を見て廻って僕はもうここに居る必要もないと思った。

もう充分だ。

これ以上欲張っても何も見つからない気がする。

何だか少し旅に疲れているようで、見るものが右から左へと日頃、聴いている英語のように通り過ぎていく。

少しは違う角度のものを味わってみなくてはならない。

そうでなければ書いていることがマンネリ化されて、面白くない。

出来たものが面白くないのは、さして問題ではないが、書いている渦中にある行為そのものが退屈するのは問題だ。

正直、今日のような文章は前にも書いた気がする。

何かを見てそれを書くというのは確かに書き易いし、中身もしっかりと詰まって、読み物としては申し分のないものができるだろう。

本を読みたい

考えてみれば僕はこの一ヶ月の間、まったく本を読んでない。

僕のいう本と小説のことだ。

それが唯一この旅での汚点だったように思えてならない。

僕はこの旅に何冊か本を持ってくるべきだった。

そして、その日は街に出ず、部屋にこもり一日かけてその本を読むという日を作るべきだった。

僕は旅の経験だけに拘り過ぎた。

毎日出来るだけ見て廻って自分の経験を増やそうと欲張っていたのだけれど、すべてが経験につながるかと言えばそうでもない、ただそこへ行ったという事実のみが残る場合も少なくない。

山口先生の言葉

僕は中学3年の担任の先生の言葉を頭に浮べている。

その先生の言葉は生きている。

「若いうちはたくさん本を読むといい、本を読むことは人生における経験でもある」

いかにも教師の言う定型詩のような文句だが、僕は上京して、読書に明け暮れる生活を始めると、なんとなく彼の言葉を敬うようになった。

自分に当てはめることができただけだが、教師のことばで覚えているものは後にも先にもこれきりだ。

もう何年も前の話だけれど、よく覚えている。

たしか先生はそういって、夏休み前に後ろのロッカーに星新一の文庫本を並べたのだった。

今、思うとなかなか薄ら寒い笑いの起きる瞬間だが、当時は本に興味もなかったので、その文庫に見向きもしなかったのは事実だ。

それ以来、未だに星新一を読んだことがない。

僕は高3の夏の『こころ』と『ノルウェイの森』から始まったから趣味から言ってもまあ違う者だからしかたない。

しかし、ときどきなにかの書面で星新一の名前を目にすると必ず、その先生を思い出す。

その先生は音楽の担当で、音楽授業でも『サウンド・オブ・ミュージック』や『メリーポピンズ』の類いを僕ら中学生に見せていたのだから、趣味を押し付けるところなんかは凄く共感する。

やっぱりいい先生だったんだと思う。

僕は旅をしながら本を読むべきだった。

それこそ欲張るべきことだった。

何処かわからない、誰も知らない、異国の地で一枚一枚と違う世界に引き込まれ、僕は二重にも三重にも旅をする。

6 Sep 1998

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