1998年のアメリカ旅行 第5章
8月23日 ケンゴ・ヒオキ
ニューヨーカーとの出会い
その人を僕はまだ知らない。
東京で知り合ったミュージシャンの友人が、僕がアメリカを旅行すると知った時に、もしニューヨークへ行くのなら、絵描きをやっている友人があるので、会うなら会うか、と誘ってくれた。
もちろん、僕は会わせてほしいと頼んだ。
人付き合いに億劫な僕は、初対面の人と何を話したらいいのか不安もあった。
とはいえ、その人がどういう人なのかはその友人に話を聞かせてもらっていたし、僕自身も事前に電話で話をしたこともあったので、不安といっても知れていた。
だから安心とまでは言わないが期待していた。
知らない人と会うことはやはり楽しい。
その人が絵描きだというのだから尚更だ。
8月23日、僕はその人に会った。
姿顔かたちの何ひとつ知らない人なので、どうして会おうかとも思ったが僕らは簡単に会うことが出来た。
ニューヨークは人と人とが簡単に会える街だ。
僕が言っているのじゃなくて、彼がそう言っているのだ。
ニューヨークタイムズスクエア
ニューヨークに着いた僕は軽く食事を済ませてから電話をした。
そして、タイムズスクエアにあるヴァージンレコードの前で待ち合わせることになった。
上は黒のTシャツ下はジーンズに白のスニーカー、これが僕の格好だと告げると、自分はモヒカンだからすぐわかると言った。
それを聞いて僕は正直、一瞬ひいたが、後にはひけないのも事実だった。
ニューヨークに住む絵描きとは、いったいどんな人なんだろう。
僕は期待に胸膨らませた。
僕が待ち合わせの場所に立ってしばらくすると、4人の日本人らしい男女が近寄ってきた。
その1人がモヒカンだったので、おそらく彼だろうと思って、握手を求めて、初めましての挨拶をした。
「初めまして、ケンゴです」とその人は言った。
とても落ち着いた感じのやさしそうな人だと思った。
そして、隣に居た帽子をかぶっている男性に「まっつん元気?」と訊かれて、「はい」と僕は答えた。
「まっつん」とはケンゴさんを紹介してくれたミュージシャン、松本さんのことだ。
僕はこの人も松本さんを知っているのだと思い、なんとなく安心した。
そんな彼らと僕のやりとりを見て、一緒にいた女の子がクスクス笑っているので、僕は自分の格好がおかしいのか少し気になった。
確かに汚い服だけど笑うことはないだろうと思った。
けれども直後、どうして彼女たちが笑っているのかがわかった。
ブロードウェイをダウンタウン方面へ歩いているときに、一方の女の子がケンゴさんの名前を呼んだときに、何故か、帽子をかぶった男が返事をしたのだ。
すると僕が不思議の途中に、まもなく種が明かされた。
帽子をかぶった男が帽子を取り、頭を見せた。
そして実は自分がケンゴだと名乗ったのだ。
彼の頭も、もちろんモヒカンだった。
一瞬、その人が何を言っているのかわからなかったが、僕の頭はすぐその状況を把握した。
遊び心。
なるほど、僕は騙されていたのだ。
よく考えれば見破れたかもしれない。
松本さんが話してくれた通り、一番お喋りだったのが、彼だったし「まっつん元気?」というセリフもとても自然だったのだから。
けれど僕はもう一人の男の人と、ケンゴさんの帽子に完全に騙されてしまっていた。
こうして僕はニューヨークの洗礼を受け、これからの何日間をここで過ごすことになる。
23 Aug 1998
8月24日 ライブ・イン・ニューヨークシティ
ニューヨークはロウアーマンハッタン
ニューオーリンズを離れて、しばらく音楽を聴いていない。
ブルースでもジャズでも何でもいいから聴きたい。
人生とは自分の思うようになるのだろうか、本日、僕はあるライブに行けることになった。
ニューヨークはロウアー・マンハッタンにある地下のライブハウス。
僕は本日使用される機材を運んでいた。
実は、僕がお世話になっているケンゴさんのバンドと昨日僕が一番最初に握手を交わした市川さんのライブがそこであるというのだ。
それで僕が機材搬入を手伝っているというわけだ。
そこはステージに向かって少し平べったいライブハウスで、少しの人でもいっぱいに見えるといったところだ。
その日は、ある日本人の結婚パーティーのイベントのようなものと重なっていた為、たくさん日本人に会うことが出来た。
本当にたくさんの日本人だった。
あまり多すぎて少し嫌気がした。
それでもそう思っていたのはライブが始まるまでで、ライブが始まればそんなことどうでもよくなった。
ピーランダーZ
ライブが始まった。
演奏するのはケンゴさんのバンド「ピーランダーZ」。
バンドの由来を聞いてみたのだが、少し説明しにくいので、説明ができない。
とにかく下品な由来だったことは覚えている。
どういう内容の演奏かというと、一概にパンクだ。
でもそれは日頃、テレビの深夜放送とかケーブルテレビとかで観るようなのとは少し違い、何かその新鮮な感じを受けるものだった。
笑いを呼ぶ、ケンゴさんの日本語と英語の入り混じったトークが冴えた。
「ノーノー、オコノミヤキ、ジャパニーズ、ピッツァ」や「アイアムウンコ」とこれだけでは上手く伝えられないが、その場に居てこそわかる、センテンスの選びと言葉の響きがいい。
演奏の途中にケンゴさんが服や靴を脱いでいたのを覚えていたので、後で話したら、実はそれはギターが壊れたので、なんとかして誤魔化してただけというのだ。
それを聞いて僕はその人のひたむきさを感じた。
誤魔化しだったが真剣さが伝わる。
どこにでも人がいて、どこにでも一生懸命だ。
僕の知らない世界が広がっていたライブ・イン・ニューヨーク
そしてもう一人、僕がニューヨークで頼れる男、市川さん。
彼の方は彼で、またこれは凄いものを見せてくれた。
音楽に映像を加えた、日本ではあまり御目にかかれない世界。
そのユニットは彼とその妻とで組まれたものだった。
これは今までに見たことのないライブだったので、そこにある特有のノリについて行かれなかったのだが、確かに面白いものだった。
その良さをうまく言葉にして感想を言えない未熟な自分が悔しい。
いつもそうなのだが、僕はうまくその人々に感想を述べることが出来ない。
しかし、それは僕が言葉を知らないというのではない。
確かにそれに相当する言葉が見つからないのだけど、僕がその人々に感想をうまく伝えられないのは、「ものを作る者」として、作った人のものを軽々しくありきたりの言葉で称えるのは、はたしてまっとうなことなのかと思うからだ。
その度々の恥じらいが、時々、僕をして無関心な男をつくりあげてしまう。
「日本にもニューヨークにもどこにでも人がいて、どこにでも一生懸命だ」
24 Aug 1998
8月25日 エンパイアヤーステートビル
セントラル・パークにて
朝からカフェにてメガネを誉められて気分が良い。
あまり気分が良いのでコーヒーの御代わりをもらう。
僕はセントラル・パークにあるオープンカフェでゆっくりと日記を書いていた。
この気分に任せておけば何かいいことがあるのではないかと思ったりもしていた。
けれどそれも束の間、僕は雨に降られた。
テーブルの上の荷物をまとめて、カフェを後にした。
雨宿りができる場所を探しながらセントラルパークの中を歩いた。
歩いているとすっかり雨はやんで、うっすら空が切れて明るくなってきた。
近くに時計を探して時刻を確かめると、もう夕刻五時になっていた。
随分と歩いたものだ。
少し疲れた僕は地下鉄に乗ってダウンタウンの方へ向かった。
摩天楼とツインタワー
地下鉄の駅から外へ出ると僕は眼前にある巨大なビルを見上げた。
これが、かの有名なエンパイヤーステートビルだ。
僕はとにもかくにも登ってみた。
そこからはマンハッタンを一望することが出来、更にクイーンズ、ブルックリン、ブロンクス、ニュージャージーの周辺の地域が見渡せた。
少し離れた所にビルが2本建っていて、これの方がどうやらここより高いらしい。
四方八方が風景だった。
そのような場所から僕が眺めていたのものは何かというと、それは最近過ぎたばかりのアメリカの日々だった。
ニューオリンズ、ワシントン、ボルチモア、あまりにも近すぎて鮮明に浮かび上がる日々。
そして眼下に広がる摩天楼。
僕はそんな過ぎ去った日々を片手に、もうひと踏ん張りしてみようと思った。
25 Aug1998
8月26日 ロッカウェービーチ
そこはかすかな潮の匂いがあり、訪れる人の心をやさしく包んでくれる。
うっすら浮かび上がったマンハッタンが自分の今いる場所を別の世界に思わせる。
僕は何もかもを遠くから眺めていたかった。
ケンゴさんのルームメイトのアキラさんに、ニューヨークでどこがいいか聞いたら、ロッカウェービーチだと教えてくれた。
それで今日は朝から地下鉄に乗って1時間かけて行ってきた。
都会の喧騒から逃れるようにビーチの周りを散策した。
ここはとても素敵な場所だ。
遠くのマンハッタンに手を伸ばしたら届くかもしれない。
それから日が傾くまで海が綺麗に見渡せる板張りのカフェでゆっくり甘いコーヒーを啜っていた。
26 Aug 1998
8月27日 食を通じて
もののけ姫
これも僕のニューヨークでお世話になっている人々。
僕がニューヨークに来て一番はじめに握手をした人、市川さん、そしてその奥さん、僕と同い歳の人懐っこい女の子だった。
今日は彼らと半日を過ごした。
晩に訪れる予定だったけど、昼間に少し歩き疲れたので明るいうちに訪問した。
僕が行くと、彼らはなにやら日本のアニメを見ていた。
僕も知っているもので少し懐かしげに僕はその映像を眺めていた。
映し出される日本が僕に望郷の念を押し付けているようでもあった。
それが終わると更に僕らはもう一本ビデオを見ることにした。
それもまたアニメだったが、それは僕はまだ見てなかったもので、わりと見てみたいと思っていたものだった。
『もののけ姫』。
まさかニューヨークで見ることができるとは。
僕はテープの回っている間、この旅から離れて違う世界に居たようで、物語が終わると何だか凄く不思議な心持ちになった。
チャイナタウン@ニューヨーク
そんな気分から醒めぬうちに僕らはチャイナタウンに向かった。
その土地を知るためにはその土地で食事をするのが一番だというのが、市川さんの考えるところだ。
言われてみれば、なるほど、僕は食を通じてチャイナタウンに住む中国人のパワーを感じた。
何処に行っても見かける中国人。
見かける度に彼らの生命力を強く感じる。
チャイナタウン。
あれほどまでもの街を異国の土地に作ってしまう人々が僕は少し怖くなった。
僕は日本に帰ったらもう少し中国のことを勉強するべきだ。
そして出来ればその土地を訪れるべきだろう。
ついでに食事をして。
今度はもう少しマシなことが書けるだろう。
食を通じてその地を学ぶ。
今日の格言かもしれない。
僕らは食事を済ませると少し歩いて、イーストサイドにある小洒落たカフェに入ってニューヨークの夜を楽しんだ。
27 Aug 1998
8月28日 名がないばかりにしなければならないこと
毎日毎日、くだらないことばかり書いている。
そう思う。
断定するほどでもないが、それでもそう思うのにはやはり上手く書けてないのだ。
納得できるものなら不味くても十分構わないし、上手く書けたことなど一度もないのだから、今更、悩む問題でもない。
こう感じるのには、僕の過ごしている日一日にあるものを、必要以上に簡潔に書いてしまい、一日に多くを感じている内面の問題ですら抽象的に捉えて、着飾った言葉で表現しようとしているからだ。
それでは実際、駄目だ。
僕はそのときそのとき肌で感じたことを言葉にしていかなければならないのであって、それは僕自身の言葉であって、変に着飾る必要もないからだ。
そうであっては、僕がここにいるわけがわからなくなるではないか。
28 Aug 1998
8月29日 拝啓
「お元気ですか? 僕は元気です。この夏はいかがお過ごしでしたか」
いつものあたりさわりのない書き出しで、僕は手紙を書く。
いったい誰に届くのか、僕は手紙を書くのが楽しい。
もらう数よりあげる数のが多いこの頃、僕は随分お喋りな男になった。
自分のことを人に話したくて堪らない。
今、どこに居るだとか、これからどこへ行くだとか、どうでもいいことばかり並べている。
こんな手紙をもらって誰が喜ぶ?
相手の気持ちなんてお構いなしのこんな手紙は書かないほうがいい。
だが、そうもいかないなのが、この旅の寂しさだ。
たくさんの人と出会った。
笑った。
そのうち泣くだろう。
色々詰まったこの旅もあと2週間となり、僕は出せなかった手紙を想い、書き尽くせなかった言葉を誤魔化すように当たり障りのない言葉を並べる。
「こんな感じで僕はなんとなくがんばっています。日本に帰ったらまた話がしたいです」
29 Aug 1998
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