1998年のアメリカ旅行 第二章
8月6日 府知事
旅行中にランニングをするということ
僕は彼のことを府知事と呼んでいる。
他の者も同じように彼を府知事と呼んでいる。
久しぶりの愉快な出会いに喜びが隠しきれない。
毎日、僕が目を覚まして眠たそうに座っていると、彼はランニングパンツ姿に汗だくで帰ってくる。
少し華奢な身体にランニングパンツの彼はアメリカ旅行中にもかかわらず、毎日、30分のロードワークをしているのだ。
今朝はポトマック川沿いを走ってきたけど、気持ち良かったわ(府知事)
府知事のキャリア計画
彼は僕より1つ上で、22歳だった。
慶應の4年生で、卒業後は全日空のパイロットとして、その訓練が始まると言う。
彼は専攻が政治学であるわけだが、彼はただ政治に詳しいにとどまらず、自分の中に斯く斯くしかじかの政策などがあり「日本の政治を変えるんや」その為には自分は自分の出身である京都で、府知事になって、そこから成り上がっていくなどというキャリア計画があった。
周りの人間は彼をファシストと言って笑っていた。
オールド・アブサン・ハウス
その府知事と彼の最後のニューオリンズの夜に出かけた。
僕らはナポレオンハウスでビールを飲んでから、全米最古のバーと噂される「オールド・アブサン・ハウス」へ入った。
なんやねん。「オールド・アブサン・ハウス」やのに、アブサンは置いてないんやて(府知事)
アブサンって酒の名前やったんですね
そこで、ジャック・ダニエルのオン・ザ・ロックを飲んだ。
アメリカではロックをアイスと呼ぶことを府知事は教えてくれた。
そして僕のぶんも払ってくれた。
僕らは他愛もない話をして、お互いがここで過ごした日々を振り返り、再びどこかで会うことを約束した。
ユースホステルに帰ると、他の連中が僕らを待ってくれていて、ささやかながらパーティーをした。
6 Aug 1998
8月7日 別れ
これも旅の侘寂だろう。
4日前よりここで過ごしていた連中が、今日でここをたった。
4日間という僅かの時間で僕らは話せることだけのことは話した。
ニューオーリンズのバスターミナルまで僕は彼らを見送りに行った。
どうして、こんな感情になってしまうのかわからないけど、とにかく凄く寂しい。
彼らを見送って、ユースホステルに戻ると、昨日、今日やってきた旅人らが、また新しい輪をつくっていた。
7 Aug 1998
8月8日 プリザベーションホール
小学校の音楽室ぐらいのホール。
そこをホールと呼ぶにはいささか無理があるのではないかと思うほどのところだった。
僕は中央にある木のベンチに座らず、壁際にあるクッションに座った。
トロンボーン吹きの黒人の老プレーヤーと目と鼻の先といった具合だ。
流れる音楽は聴いたことのないものばかりだったが、どこか僕を陽気にさせてくれた。
それぞれの楽器のソロが終わる度におきる拍手が更に気分を上げてくれた。
知らぬまに拍手をする僕。
小さいホールにぎっしりの人で、熱気をむんむんと感じる。
僕は演奏を聴きながら、ここ数日のことを考えていた。
ニューオーリンズに来てからのこと。
これから先の旅のこと。
色々と考えるのが厭だから、ここへ来たのだけど、結局、演奏の間、ずっと考えごとをしていた。
演奏が終りホールを出てからも、黒人の老プレーヤーの楽しそうな笑顔だけが頭から離れなかった。
8 Aug 1998
8月9日 ユースホステルでの食生活
仲の良かった旅人が皆、次の旅の土地へ行ってしまってから、1人になり、色々と考えることができる。
日中のニューオーリンズは暑いので、ずっとユースホステルのラウンジで日記を書いている。
歩いてすぐのところにグロサリーもあるから、そこで食パンやチーズ、パスタなどを買ってきて、1人でなんやかんや作って食べている。
ユースホステルにはどこでも共同のキッチンがあり、調味料も去りゆく旅人が置いていってくれるので、ある程度、揃っている。
僕はこの数日、ずっと朝はサンドウィッチで、昼というか、夕飯はペペロンチーノを作って食べている。
ニューオーリンズの時間は朝は遅いので、昼と夜の出かける前に腹に入れるという感じである。
夜はストリートカーに乗って、街を散歩している。
宿の誰かと一緒に出かけることもあるし、観光地なので、街中でバッタリ会うというのもある。
ユースホステルに泊まっている人間どうし宿では話してなかったんだけど、街中で見かけて声をかけてそのまま仲良くなって帰ってくるというパターンもある。
9 Aug 1998
8月10日 旅のスタイル
ここのラウンジが好きだった
何もしない一日が続いている。
どこかへ行かなきゃと思うけど、ユースホステルの静かなラウンジの居心地がいい。
朝から晩まで、なにもしないでいる。
今日も、少しのパンを齧ることと煙草を吸っているだけだった。
せっかくアメリカに来ているだからそんなもったいない時間の使い方はやめなさいと言われるが、ゆっくりしたいのだからしかたがない。
ニューオーリンズに長逗留
僕ぐらいゆっくり旅をしている者はアメリカにはまずいない。
ここのユースホステルに来る人は皆、急いで次なる目的地に行ってしまう。
たくさんの都市をめぐっているからだ。
僕もそんな旅をすればよかったという後悔がないでもない。
確かにニューオリンズはもういいと思うし、次のワシントンにも早く行ってみたいとも思う。
でも、このラウンジから離れることができない。
もう少し南部の風に当たっていたいと思う。
書くために旅をしている
昼間っからひたすら日陰の机で日記を書いている。
誰もいない。
煙草をプカプカ、キッチンでコーヒーを入れる、通りがかるスタッフの女性が「出かけないのか?」と訊く。
僕は顔をあげて曖昧に笑みを見せる。
それからまた下を向いて続きを書く。
鉛筆はたくさん持ってきた。
ノートは一冊だが、足りなくなるかもしれない。
ニューヨークへ行ったら文房具屋を探してみよう。
悪くない。
ここを離れるとなったらきっと寂しくなるのだから、ゆっくりしようではないか。
10 Aug 1998
8月11日 アメリカンコーヒー
恋ではなく好意
僕のことを「とも君」と呼ぶ女性が2日前から来ている。
最初は名前で呼ばれることに困惑したが、今となればそうでもない。
「とも君」という響きがなんだか嬉しい。
彼女は僕より2つ歳上なのだけど、そう見せない幼さを持っている。
そんな彼女に僕は恋をしてしまったかというとそうでもない。
ただ、なんとなくだけど好意があるだけだ。
なんとなく話していたい存在なのだ。
恋ではなく好意。
そんな女の子と僕。
けれど僕は彼女の名前を呼べない。
「とも君」
「はい」
こんな感じだから仕様がない。
アメリカンコーヒー
彼女と僕には共通点はとくにないけれど、ひとつあるとすれば、それはコーヒーだと思う。
コーヒー好きの僕とコーヒー好きの彼女。
彼女と飲むコーヒーは何度となくおいしい。
3度ほどコーヒーを共にしたが、とてもおいしかった。
もし彼女が毎日コーヒーをいれてくれたら、なんて思ってみるが、僕らはそんな関係ではないのだからそれまでだ。
そんなことを考えるのは僕だけで、彼女は静かに何を思っているやらコーヒーを啜る。
何事もなく時が過ぎる、アメリカンコーヒー、彼女が「とも君」、僕が「はい」。
所詮はそんなものかな。
11 Aug 1998
8月12日 友人からの手紙
細長い定形郵便用の封筒。
先月、僕の誕生日の際に友達からもらった。
「旅行中、困った時に開けてみるんだな」
テレビの見過ぎじゃないかと内心思ったが、ありがたく持ってきた。
少し躊躇いながら封を切る。
少し寂しかったから。
何もかもが順調な旅だとわかっていたら必要でなかった。
中にはルーズリーフの用紙にメモ程度の言葉、新品の10ドル紙幣が3枚入っていた。
12 Aug 1998
8月13日 ニューオーリンズ美術館
デートに出かける
寝惚けたままストリートカーに乗る。
午前10時。
このユースホステルに来て、こんなに早い時間に出かけるのは初めてだ。
朝だからなのだろうか、特有の湿った空気がやけに心地良い。
隣に座るのは少し大人のお姉さん。
いわゆるデートだ。
絵を描くのが好きだった
ニューオーリンズ美術館にへ行くと言い出したのはもちろん僕の方だった。
どうして美術館なのか自分でもよくわからなかったが、何だか急に絵が見たくなったのだ。
絵は小さい頃から好きだった。
観るより描くのが好きだった。
今は描くより観るばかりになったが、絵という絵は好きだ。
ベンジャミン・リヴィ
そんな絵の中でなんとなく惹かれた絵が、ベンジャミン・リヴィというアメリカ人の画家のものだった。
確かそんな名前だった。
絵の特徴として詳細を述べることは僕のような素人には出来ないが、僕はその絵の前でとても楽しい気分にさせられていた。
不思議なものだ、それ程出来た絵でもないのに、僕は一番その絵が好きになっていた。
その魅力が何なのかわからないうちに、そのものの虜になっていたりする。
簡単に人のことは好きにならない
人を好きになるときもそういう風に傾いていくことが常だろう。
いつも誰もが好きな理由を求めるが、理由なんてない。
顔が好きだった、初めて話した感じがよかった、あだ名を呼んでみたいと思った、しょっちゅう僕の視線の中にいた、それ以外の理由がいるか?
そう思うと今、隣にいる女性に恋してないことがよくわかる。
帰りのバスの中、僕の頭の中では初めて生で観た、たった1枚のピカソの絵の図柄をうまく捉えられないでいた。
13 Aug 1998
8月14日 さらばニューオーリンズ
混沌たるミシシッピの流れ、バーボンストリートの狂った人いきれ、悲しいまでもの陽気なジャズ。
全てがここにある。
止まった時間のように。
僕は2週間、ここで何をしていたのだろう。
そんなことを思ってみたりするけれど、結局、全てが何の意味も持たない時間のかたまりだったのかもしれない。
けれどそれらの日々が愛しくて堪らない。
ここで出会った考え足らずの友達、甘いコーヒー、もう再び会うことはないが僕にやさしくしてくれた黒人フランシスコ。
ここにある全てのことが愛しい。
ニューオーリンズ。
僕はただ、そこにいただけなのに、そんな気分にさせてくれる。
当たり前のように河が流れ、人が溢れ、音に埋もれている。
14 Aug 1998
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