ニューオーリンズへやってきた。夜の散歩はフレンチ・クォーター、バーボンストリート、ミシシッピ河。ユースホステルで出会った人々のこと

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1998年のアメリカ旅行 第1章

7月29日 東京

東京、八王子

何件か忘れたけど、電話があった。

何件か忘れたけど、電話をした。

誰とでもそうなんだけど、話している間になんの用件があってこんなに長々と話をしているんだろうと思う自分に気がつく。

でも電話を切れない、話をしているだけで落ち着く。

「それでもう出発の準備は出来たの?」

「準備するものなんか、なにもないよ」

出発前に2日分の着替えと、ガイドブックと筆記用具をバッグに詰めればいいと思っていた。

人に言わせると心の準備というものがあるらしんだけど、今更、心の準備もない。

準備しなくても、むこうに行けば自動的に整理されるだろう。

そのために旅に出るんだから。

 灰色のリックサック

その日、大学受験の時に兄にもらったOUT DOORの灰色のリュックサック(現在の通学用のガバン)に下着を2日分と、国語辞典とノート、筆入れ、ガイドブックと、最低限必要なものを詰めた。

随分とシンプルなスタイルが出来上がった。

「これでいきます」

これはある意味、僕の意思表明だった。

29 Jul 1998

これは僕が大学3年生の夏、21歳の旅の記録です。現在、47歳だから、26年前の話です。

7月30日 はじめての一人旅

30日の夜は東京の自宅にいて、31日の朝に空港へ向かい、ニューオーリンズに31日に到着。

昨日、と断定するかどうかはそれほど問題ではない。

しかし、31日に目を覚ましてから、1日分の時間は経っているので出発前夜を昨日として思えない。

だから、文章の書き出しとして「昨日、何々」とは書けない。

ならば「一昨日、何々」と書けばよいものの、こちらへ来て見ると日付は31日なのだから、そうも出来ない。

そのどちらとも呼べない時差について考えながら、本編。

劇団カクスコのビデオを観て、落ち着く

昨日、僕はなかなか眠れなかった。

眠れたと思ったら朝に起こされた。

緊張によって眠れず、緊張によって早く目を覚ました。

僕もそういう自分自身を知っているので、夜おそくまでビデオを観ていた。

「カクスコ」という男6人だけの劇団の少し前に行われた公演のものだった。

常に笑いのある男同士の対話が魅力だ。

最大級にセンチメンタル

ビデオを観終わり、ようやく眠れるだろうと床についてから、1時間、2時間と眠れなかった。

僕はまだ、1、2 時間分の自分を知らないようだ。

そんな自分を探しに僕は初めての1人旅、空港へと向った。

最大級にセンチメンタルに語ってしまうが、間違いはない。

中央線にて思う

中央線は朝の通勤ラッシュと重なり、もみくちゃに身を委ねていたが、その中でも無防備にしていられることに、この国の平和をありがたく思った。

そのような今日と明日をいつまでも持っていられる学生やサラリーマンを羨ましく思った。

これは皮肉ではない。

僕はアメリカで銃撃されるかもしれないという可能性に単に怯えていた。

上野で友人と別れる

途中、上野で大学の同級生と会う約束があったので降りた。

僕らはいつもどおり他愛もないことを話して別れた。

彼も次の日から、中国へ1年間、留学に行くことになっていたので、お互いの士気を高めるためにも無駄話が必要だった。

僕を見送り立ち去る友人の背中からは相当の寂しさが感じられた。

彼は僕より他に友達がいただろうか? 

彼も僕を見てそう思ったかもしれない。

彼とは来年の3月迄会えない。

30 Jul 1998

7月31日 成田→ロサンジェルス→ニューオーリンズ

ニューオーリンズという響きが良かったということもある

ニューオーリンズはアメリカ南部に位置し、ミシシッピ河が流れていて、ジャズが有名。

僕が知っていることはこれぐらいだ。

どうして僕が初めての1人旅をニューオーリンズに決めたのかという疑問には、明確な理由がない。

僕としてはどこでもよかった。

ただ、ロスやニューヨークのような誰でも知っている街より、知る人ぞ知るディープな街の方がいいと思った。

ニューヨークには人と会うので行くことになっています

ホテル ラ・サール

1日目はラ・サールというホテルに泊まった。

空港のシャトルバンに乗り込み、ラ・サールと告げると、運転手がおろしていってくれたところにホテルらしき建物がないので、不思議に思っていたら、目の前にある小さなアンティーク・ショップのような入口がホテルのフロントだった。

ホテルは縦長に部屋を並べるこざっぱりとしたつくりで、部屋のドアも古い時代のままで、オート・ロックでもなかった。

その雰囲気が緊張で疲れきった僕の心と身体を和ましてくれた。

窓の外から異国が見える

ホテルの外はとても騒がしく、なにやらマイクの声で演説をやっているのが聞こえてくる。

もちろん、英語なのでなにを言っているのかはわからない。

演説かどうかも、わからない。

時折、アメリカ映画でよく耳にするパトカーの音が横切る。

その往来が絶えない。

世界の片隅で

世界の片隅なんて言葉があるけれど、ここに来た瞬間「あぁ、ここか」と思った。

地図で確認すればすぐにわかるが、ここはアメリカの南の端っこに位置する街。

世界の片隅なんて洒落ていてなにか素敵なものを連想させるけど、僕のいる世界の片隅なんてとても寂しい場所でしかない。

1人旅の寂しさがどういうものか、ようやくわかった。

31 Jul 1998

8月1日 フランシスコ

コンタクトレンズ

久しぶりに着けたコンタクトレンズがやけに痛い。

だったらメガネを使えばいいじゃないかと思うが、個人的に素顔の自分のほうが好きなんだから仕方ない。

自分の顔に自信があるわけではない。

ただ、素顔の自分の方が上手く笑えていると思うからだ。

実際、今日はそんな素顔に助けられた。

ニューオーリンズのユースホステル

朝、ホテル(ラ・サール)をチェック・アウトするとすぐに次の寝床確保のため、街より少し離れたユースホステルへ向った。

旅の予算から考えると、そこに泊まれるかどうかは重要な問題だった。

泊まれない場合を考えて金を準備しているわけではないので、チェック・イン出来るまではさすがに笑ってもいられない。

ユースホステルに到着すると、すぐにベッドが確保できたので、僕は安心して、街へ向かった。

欲望という名の電車

僕のいう街とはフレンチクォーターのことだ。

ユースホステルまでは歩いて来たけれど、この暑さと距離を考えるととてもじゃないが歩けない。

路線バスの停留所の列に並んで『欲望という名の電車』に乗った。

セントチャールズ・ストリートカー。

テネシー・ウィリアムズの小説にもなっている世界最古の路線バスだ。

フレンチクォーター

路線バスを降りると、僕はあてもなくフレンチクォーターを歩いた。

ガイドブックを参考にして、歩いてみたが、目的がないから歩き続けるしかなかった。

アメリカに来てから、なに一つ楽しいことがない。

笑うことさえなかった。

そう思えば思うほど、何も出来ず、ただそこにいるだけの自分が情けなくなった。

僕は雄大なミシシッピ河をいどみ、この先どうするか考えた。

このままなにもせずに帰国するわけにもいかないし、帰国するためにも航空券の変更を自分一人ではできないだろう。

僕はバーボンストリートを少し歩いてから、ユースホステルに帰ることにした。

アメリカ少年

セントチャールズストリートを真っ直ぐに行けばユースホステルに辿り着くのだけど、距離が距離だけに歩くかどうか迷った。

バス賃は1ドル。

1ドルあれば500mlのミネラル・ウォーターが飲める。

迷っていると中学生ぐらいの黒人と白人の少年が話しかけてきた。

久々に話が出来るので嬉しくなって近寄った。

「1ドルくれ」と少年らは言った。

どうやら僕はナメられているようだ。

僕の答えはもちろん「ノー」だった。

それでも彼らは「バスに乗るのにどうしても1ドル欲しいんだ」とせがんだ。

僕は紳士らしく丁寧に「あいむそーりー、あいはぶりとるまねえ」と言った。

自分の運賃も惜しいくらいなのにどうして他人にあげることができようか。

「俺たちはノーマネーだからくれ」と黒人。

「50セントでもいいからくれ」と白人。

どうやらバスに乗るつもりはないらしい。

もし僕が1ドルあげたところで彼らはバスに乗らないことがわかった。

再び「ノー」と僕。

すると彼らは「OK」と言って、もうあっち行っていいよという仕草を見せた。

そんなこと言われなくたって行きます。

「働きたまえ」

僕は立ち去った。

彼らの手前、バスに乗るのをやめた。

結局、僕は1ドルを水にあてた。

フランシスコ

歩き疲れて座って休んでいると今度は黒人の中年の男が近寄ってきた。

僕は「ノーマネー」という単語を頭に用意しながら「ハロー」と言った。

しかし、彼は何も言わない。

意外にも肩透かしをくらった僕はためしにジャクソン・アベニューまで歩いていることを伝えてみた。

すると彼は驚いて「バスに乗れ」と言った。

笑顔で誤魔化す僕、話が続かない。

そこへ知らない女性が通りかかり、彼と一言二言、世間話だったのだろう、言葉を交わし、ピザとマフィンの入った箱を彼に手渡していった。

おそらく知り合いなのだろう。

彼は僕にも食えと言ってくれた。

僕は迷わず「サンキュー」と言ってマフィンを戴いた。

「グッド」と一言。

更に彼はフード(食べ物)がもらえるから一緒に来いと言った。

僕はピザとマフィンで満腹だったけれど、その場の雰囲気で彼について行った。

そこは本当に弁当が配られていた。

ボランティア団体の活動の一環として、ときどきこの界隈で食料の配給があるらしい。

ここらへんはどういう地域なんだろう? 

僕より少し汚い服装の黒人の男たちがどこからともなく集まってきていた。

躊躇いながらその場にいると、小さな黒人の男の子が僕に弁当とジュースを渡してくれた。

思わず「サンキュー」と僕は言った。

彼が横で「サンキュー」と僕の真似をして僕の英語をポケットイングリッシュと馬鹿にして笑った。

僕は黒人たちの輪に入って一緒になって地べたに座って弁当をつついた。

上手いというか不味いというか、とにかく味のある弁当だった。

そして食べ終わるとはじめて僕は自己紹介をした。

彼の名前はフランシスコ。

知っている単語だけを並べた会話だったが弾んだ。

彼はポケットから煙草を取り出して「吸うか?」と聞いた。

僕は頷いた。

しかし、きつい煙草なので大丈夫かなということを彼は言った。

僕は日本にいるときもきついのを吸っていたので、平気な顔で吸ってやった。

そうやって僕らは時間を忘れるひとときを過ごした。

ポリスを呼んでやるから

そういえばこんなことがあった。

フランシスコと一緒にいるとき、少し離れたところから、別の黒人の男が僕を睨みながら何かを言ってきた。

ずっと言っているので気になってフランシスコに彼は何を言っているのか訊いた。

するとフランシスコは気にするなポリスを呼んでやるからと言って、1分で戻るからと比較的大きな道端まで、パトカーを探しにいった。

「探して見つかるのか? タクシーじゃあるまいし」と僕は一人ごちて、楽しくなっていた。

その間、僕はずっとその黒人に睨まれていた。

英語が聞き取れなくてどんなに良かっただろうとこの時こそ思った。

フランシスコが戻ってきたが、パトカーは見つからないらしく(当たり前だ、見つかっても困る)、結局、彼は僕をバス停まで、送ってくれるというので一緒に歩いた。

別れ際、彼はもう一度僕の名前を教えてくれと言った。

僕は名前をゆっくり二度繰り返してあげた。

そして、どうやら名前を覚えてくれたようなので、僕らは握手をして別れた。

もちろん、また会おうとも言ってあるので会えるだろう。

それにしても、あの黒人は、いったい僕に何を言っていたんだろう? 

本当に僕に言っていたのだろうか。 

1 Aug 1998

8月2日 ミシシッピ

僕はこの場所が気に入った。

バーボンストリートも良いが、やはりこの場所に尽きる。

ずっと眺めていても飽きない。

そこで吹かれるサックスのかすれた音は、人が歌っているようにも聴こえる。

河から吹きつける風が心地いい。

時間が河のようにゆったりと流れている。

なにかにじっくり時間をかけるのは悪くない。

とりとめのない時間を重ねることで、とりとめのない人生を重ねるとしても。

旅はそれをもとめている。

2 Aug 1998

8月3日 ニューオーリンズで出会った人々 

出会い 

ニューオーリンズに集まった人々。

安酒を求め互いにひしめきあい笑った。

一瞬の夏夜に消える花火。

全てが流れる時の重さに押し潰されていく。

楽しい時間の儚さを映し出している。

ここはジャズと酔っぱらいの街、ニューオーリンズ。

バーボンストリート

入れ替わり立ち代りの早い、ユースホステルだけど、ここに来た者たちは次なる目的地に進むことをせずに、ここに立ち止まっている。

何がそうさせているのかはわからないけれど、僕もその1人だった。

次、いつ、ここを発つのか言い出せない楽しさと寂しさがここにはある。

そんなことはわかっていた。

だから、僕らは夜のバーボンストリートへと駆け出した。

聴こえてくるジャズが僕らを陽気にしてくれた。

僕らは安い酒の飲めそうなロック・カフェへ入った。

ハッピーアワーのビールと生牡蠣を注文して乾杯した。

ポリスの『ロクサーヌ』が流れるような店だった。

馴染みの曲を耳にして喜びを隠しきれない。

それでも周りの人間は満足していないようだった。

店をかえる。

ナポレオンハウス

チャタレーストリートにある有名なバー、ナポレオンハウスに入った。

ナポレオンハウスという名の由来は、かつてこの地に住んでいたニコラス・ジローという市長がナポレオンの大ファンだったから。

ニューオリンズのあるルイジアナ州をアメリカに売り渡した張本人のナポレオンだったが、彼自身、いつかニューオリンズに行ってみたいと切望していたと伝えられている。

ゆえにここはナポレオンとの繋がりの強い土地だと『地球の歩き方』に書いてある。

その店で僕らはディキシィービールを飲んだ。

他愛もない会話は夜の奥深くまで足をのばしていた。

少しずつ心をゆるしていく僕、言葉が増える。

すっかり酔いしれた僕らは、ミシシッピの目の前にいた。

強く吹きつける風が心地よかった。

ひとつしか見つけることができなかったけど、星が可愛いかった。

僕らは友達

僕らはニューオーリンズで知り合ったわけなんだけど、皆1人が1人で旅をしているという連中で、これまでの旅の経路、これからの旅の経路が別々の人間ばかりだった。

その中から共通点を見出そうと僕らは意気投合した。

話をしていて、僕は彼ら全員がいわゆる普通の若者には見えなかった。

これから建築家になる学生でヨーロッパまで足をのばして世界の建築物を見てくるという者。

将来、府知事になると本気な顔でいっている全日空に内定の決まっている者。

アメリカの子供に日本文化を教えているといって、折り紙を折り続けている者。

色んな趣向があるものだが、日本にいる僕の同級生とは少し違っている。

普通すぎるのかもしれない。

そういう人々を見ていて笑いがとまらない僕も、彼らから見たらやはり変わっているのかもしれない。

彼らは僕の荷物の少なさと、旅が始まったばかりなのに日記の文字の多さに、けっこう驚いていた。

僕のリュックの大きさをみて「日帰り旅行に持ってくカバンやんけ」と笑い、そんな荷物の中に『新明解国語辞典』が入っているのを見て「アホや、こいつ」と大笑いしていた。

3 Aug 1998

8月4日 地球の裏側

1人旅する女性たち

「月はどこで見ても同じだよね」とユースホステルで知り合った女性がいった。

僕らは例によって、バーボンストリートでどんちゃん騒ぎをして、深夜にぐったりしながら、ミッシシッピのほとりでくだをまいていた。

総勢で7人、8人ぐらいいた僕らの集まりは皆、ユースホステルの住人だ。

旅をする前には1人旅しているのは男性ばかりかと思ったけど、旅をしてみてわかったのは、1人旅の女性の多いことだった。

その中の1人と僕はわりと意気投合して、行動を共にしていた。

だからといって男女の関係になるわけもなく、僕がユースホステルのキッチンでパスタを作るので、一緒に食材を買ってシェアしないかとか、そういう話だ。

夜の散歩

その夜も僕はその女性と夜の散歩をしていた。

周りはみんな酩酊していて、ミシシッピ河のほとりの枕木で眠っていた。

僕はタバコ吸いながら、ぼんやり夜を眺めながら、日本にいる人のことを考えていた。

それは彼女も同じで、僕らはぼんやり身の上話をしながら、少しずつ距離を詰めているようにも感じられた。

「月はどこで見ても同じだよね」

「そうですね」

ある月の綺麗な夜のことである。

4 Aug 1998

8月5日 ウィノナ・ライダー

昨日と同じロック・カフェに来て、僕は少しがっかりしていた。

昨日、働いていたウィノナ・ライダー似のウェイトレスがいないのだ。

昨日、ウィノナ・ライダーに似ているね、といったら喜んでくれた彼女だったが、今日はどうやら休みのようだ。

周囲の人間は僕が彼女を目当てに来てるのを知っているから面白がっていた。

僕は何喰わぬ顔で煙草に火をつけた。

なんとなく退屈な旅の連続だったので、期待しすぎていたのかもしれない。

そうやって一人で物思いに耽っていると、僕の視界が急に映画のスクリーンのように華やいだ。

彼女だった。

「あ、いるんじゃん」と誰かがいい。

「遅番だったんだ」と誰かがいった。

僕がそわそわしているのを見て彼女は近づいてきた。

2ドル25セント

彼女はカクテルを何本かトレーの上に載せて、それを売り歩いていたので、買わないことには話にならなかった。

隣にいる友人、これは府知事と呼ばれている男だが、彼が僕に2ドルと25セントのチップを渡し「買え」と言った。

昨日は赤いカクテルを飲んだので、今日は水色のカクテルをもらった。

府知事は「ドゥーユーリメンバーヒム?」と訊いた。

彼女は「オフコース」と笑った。

更に府知事は「ヒーラヴズユー」と言わなくていいことを言ってくれた。

するとどうだ、彼女は笑って僕の頬にキスをしてくれた。

僕は驚いた。

アメリカだなあ。

それからというもの僕はいつもより気持ちよく酔っ払うことが出来た。

時折、僕らの傍を通りかかる彼女に笑顔を返している僕はいつもより上手く笑えていたことだろう。

時間が経ち、酔いが醒めると店の洗面所で僕はすぐ、左頬についたキスマークを洗い流した。

何がそうさせたのかわからないけど、残しておくことにも意味があるようには思えなかった。

5 Aug 1998

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