いまだ僕は桜を憂鬱なきこころで見たことはない

たぶんこんな平明なこころのまま生きていたら駄目なんだろうな、と思いながら生きている。

僕の話す言葉にはわかりやすさが欠けている。

でも、その欠けている場所に、ほんとに語りたいことがあり、わかりやすく生きようとしたら、僕は無口になった。

糸井重里が、今日の日記で、日本の笑いについていい事を書いていてなんとなく元気が出て来た。

それから『ねじまき鳥クロニクル』の一巻を読み終えた。

ノモンハンの皮剥ぎのシーンは凄まじくて、僕はフィクションの持つ言葉の力強さをビシバシ感じていて、今、フィクションの外にいる自分に嫌気がした。

そういうことを感じ始める季節。

20代の半ばみたいにバイトに行っているフリして、井の頭公園で、ずっと缶コーヒーを飲んでいたい。

今、ほんとうにそう思う。

いまだ僕は桜を憂鬱なきこころで見たことはない。

と昨日ここまで書いて、なんとなくネガティブな感じがしたので更新しなかった。

でもそれはただの「感じ」だけで、僕自身がネガティブだったことなんかしばらくないんだがな。

とか思いながら一日を暮らした。

それから『ねじまき鳥クロニクル』の二巻を読み始めた。

冒頭は奥さんが家を出ていって、連絡がとれなくなったところから話が展開していく。

女の人と一方的に連絡がとれなくなったことは僕はけっこうあるので、ビシバシ共感する。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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