タフに生きる方法としての八方美人

いろいろな人と話す。

いろいろな人と二人きりになっても、けっこう相手に合わすことができる。

相手はとてもシリアスな話題をしてきても、それを否定したりしないで、うんうんと訊いて、話のわかる人間を演じてしまう。

罪悪感はない。

僕としては、あまりにも過剰な善意に賛同できないから、初対面というか、僕のことを知らないのに、自分の誠実さとかを語られても、僕も本当の自分を見せない。

たぶん、僕の中に正統派の芸術なり、政治的正義なりを見出して、いろいろとありがたい話をしてくれる人は、僕のことを取り込めると思っているんだろうけど、見立てが甘いと思う。

たとえば商業主義を否定する話題を僕にコンコンとする人がいるとする。

僕はおそらくそれに共感するだろう。

でも、僕は一方ではAKBのCDを買って投票したりしているわけだから、僕は彼らの理想の実現には程遠いところにいる。

馬の耳に念仏あるいは、釈迦に説法という感じだ。

テレビがくだらないという話をされても、僕はほんとくだらないですね、と同意するけど、僕がくらだらないと言っているのは、報道やニュースメディアについて言っているのであり、その一方でバラエティの信奉者である。

僕自身はその矛盾をきちんと理解しているつもりだけど、どちらかに取り込もうという意図に対しては、たぶんノーとしか言えない。

昔から、僕の周りにいる自己中心派の人は、僕の見た目のやさしさに甘んじで、僕を手懐けれると思い、僕を取り込もうとするけれど、思いの外、僕はタフだったりする。

僕はどちらの側にも立たない、というのが本当のところだ。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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