それは「時には」としか言いようがない

最近、いろんな人に励まされている気がする。

その度に僕は少し疲れていることを盛って話をする。

相手が僕の疲れている話を求めているような気がするからである。

で、実際どうかというと僕は別に仕事で消耗していることなどない。

また文章を書けないで悩んでいることもない。

僕は朝、起きて職場に行くことで精一杯やっているし、大部分において僕は中途半端な関心を信じない。

生活が楽しいかどうかというと、それは「時には」としか言いようがない。

楽しいピークの時間はあるのだけど、それはまだ僕の一存では再現のできないとてもやわらかい場所であり、それ以外の時間はただの時間でしかない。

だからといって今は一人でいることを好むわけでもなく、わりと色んな人と話はしている。

そして色んな話の多くは僕の中にとどまらない。

僕の態度はあらゆることを斜めに見ているようであり、なにかを拒否しているように聞こえるかもしれないけど、実はまっすぐ一点を見ていることを自覚している。

ある種の純粋さや、ひたむきな思いを僕はなにより大切にしている。

それは昔から変わらない。

今も同じである。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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