2006年に青山にある出版社のライター講座に通っていたときのクラスメイトが僕が働く大学にいて、ときどき昼を一緒にとるんだけど、今日は久しぶりに会った。
弁当を買って近所の公園で、話していたんだけど、考えたら、僕は彼の書いた作品を読んだことがなかったなあと思い、いったいどんなものだろうと思い見せてもらった。
彼の作品は短歌であり、僕にはおそらく短歌としての感想はわからないにしても、言葉から浮かびあがる作者の感じや、そのときの心情。
ひとつの物語と言葉が持つ、説明不要な感じはわかるのである。
歌人である彼の活動はある短歌のグループに所属してそこで発行される書籍に自作を発表するというものである。
ある人は定職につきながらサイドワークとしてやっているようだけど、僕の知るその人は、そうではない。
言うまでもないけど、彼の作品の中に青春やせつなさ、言葉のみずみずしさは、彼が意識せずともあらわれていて、それは若い人が夢を見る力を彼が失っていないからである。
今まで文学談義やサブカル話をいろんな人と重ねてきたけど、与謝野晶子のことを「いいですよ」と語ってくれる人はいなかった。
普段、僕が接する人とは少し違う視点を持っているなあということと不安は僕と同じで、それそのもので食えないことだろうか。
今日、彼に僕のブログのアドレスやツイッターのアカウントを教えたから、今日の文章は見てくれているだろうか。
僕の読者がまた一人増えたらいいなと思い彼のことを書いた。
毎日じゃなくてもいいから読んでほしい。
きっといい刺激になりますから。
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