じゃりん子チエ

兄貴が『じゃりん子チエ』のDVDをボックスでくれるというから楽しみにしているんだけど、まだ送ってこない。

中日がリーグ優勝を決めたときに、連絡が来て、それきりだ。

僕が何かの世界に閉じこもって出て来なくなる傾向は、小学生の頃からあったのである。

『じゃりん子チエ』の再放送を全部、ビデオにとって毎日、繰り返してみていた。

その日常の裏で、野球少年もしっかりやっていた。

小中はわりと忙しくて、勉強する暇はなかった。

だから今、僕は文化系なところと、体育会系の気質があるんだろうと思う。

でも、高校野球で、世の中の厳しさ、組織の厳しさを思い知り、競争することの第一線から距離を置くようになった。

それから世界への新しい意識が芽生えたときに、出会ったのが物語の世界である。

『じゃりん子チエ』のいいところは、僕はもともとこういう世界の住人なんだと思わせてくれるところなのかもしれない。

いくら東京で、都会に洗練された感じで生活しているつもりでいても所詮は三重のド田舎の出であることを自覚させてくれる。

やさしい働き者の母がいて、キホン家にいる父がいて、手の早い兄がいて、僕は明るくて、しっかりもので、小学生一年の頃から、フライパンで玉子を焼いたり、出前一丁作ったり、器用な子供だった。

父とキャッチボールをしていると、いつも仕事から母が帰ってきて、父は炊飯器のスイッチ入れてないことに怒られていた。

今、思うと父は今の僕よりひどい状態で、子供3人もいたんだなあと思うと、生きているということは、こういうことなんだなあと思う。

僕は最近、小さい頃のことをよく思い出す。

ただ生きているだけで、どこへも行かない。

行き場がないのだから、どこへもいかなくてもいいというのが幼い頃の僕の思いだった。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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