帰り道は解放感満ちていて、色んなことを考える。
今日は神田川沿いを歩いていたら、雪が舞ってきて、とても気分が洗われた。
夜の光に白く舞い落ちてくるもの。
決して積もらない、ただ白いだけで傘をさす必要もない。
『春の雪』という言葉を思い出して、それについて考えた。
三島由紀夫の作品で好きなのは二つきりで、一つは『春の雪』で、もう一つは『永すぎた春』である。
とくに『永すぎた春』というタイトルは色んなことを言い当てている。
三島はその他の作品もいいんだけど僕にはいささか厳格すぎる。
辛うじて『春の雪』と『永すぎた春』は恋愛モノなのでいいと思う。
僕が好きなジャンルは恋愛小説か、ハードボイルド小説。
両者に共通するのは感傷である。
そして曖昧でやさしい主人公が誰かを愛しながらその曖昧さから結局、複数の人々を傷つけてしまうというスジがとても好きである(漱石あるあるというか・・)。
チャンドラーの描く複雑なアメリカ人、フィリップ・マーロウの言動に胸がしめつけられてしまうように。
どうしてだろう? たぶん彼らが思いを伝えきれないからだろう、そして、それでもかまわないと思っているからだろう。
曖昧さを認めない人に僕が立ち向かうことはおそらく一生ない。
厳格さの中には夢がない。
と僕は思う。
そういった何もかもが春になればもう少し明らかになる。
そして例によって東京の桜が咲く頃、『東京タワー』を読み始めるだろう。
リリーさんのやさしい話には夢がある。
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