僕は八方美人だと思う。
もしそれを誰かが僕に対して揶揄として言うのなら僕は迷わずそれを甘受しよう。
僕が無自覚に八方美人になっているなら、そういう戒めは効果はあるだろうけど、あくまで一つの自覚として僕は八方美人である。
これは本能でもあり、努力でもある。
もともとある才能を年々、伸ばしていった。
別に僕は寂しいわけでも、誰かに優遇してもらおうとかいう打算があるわけでもない。
またキャリアを積んでいる人間のいう人脈力とは全く違う。
そんなものに人格を捧げるような価値はない。
僕が好きなのはもっと刹那的な温度である。
相手の目を見て、この人が自分に興味あるかないかぐらいわかる。
最近、読みかえして、毎日のように考えている作品は、僕にそういう八方美人の感覚や、鈍感に生きていくことの大切さを教えてくれた作品。
森達也『放送禁止歌』1998年の作品。
ドキュメントは被写体と関係を築くことだと森達也は言う。
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