とてもいい文章に出会ったときに感じるのは、作者の誠実さである。
『三四郎』を読み始めて、一章だけでそう思った。
この小説に難しい仕掛けはない。
『三四郎』には夏目漱石の物事を見つめる大きな器がどーんと現れている。
「日本もこれから発展するでしょう」
「滅びるね」
最初の掴みを読んでシビれた人は、僕だけじゃないだろう。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より・・・・日本より頭の中のほうが広いでしょう。とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
明らかに『三四郎』のときの漱石は闊達に筆が動いている。
漱石を読むことで感じるいわゆる不安はまだほとんどない。
『それから』『門』『こころ』と漱石は深い悩みの淵へとシフトチェンジしていくのだけど、『三四郎』はそれらの物語の前触れとしてではなく独立した作品として機能している。
『三四郎』をいちばん最初に読んだのはいつだろう?
思い出せない。
いつの間にか2年おきぐらいに読むようになっていて、一番最初の衝撃が思い出せない。
もちろん、読むときはいつも角川文庫のわたせせいぞうの『三四郎』である。
イラストの描く二人の距離感が絶妙に『三四郎』の距離なのである。
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