ケータイを持つまではデジタルのサイクルの外にいたから、デジタル化する社会に対しては反感と憤りしかなかったような気がする

ケータイを持つようになってまだ2年と半年しか経っていないけど、僕はかなりデジタルに強くなってしまった。

とくにパソコンはかなり使いこなせるようになった。

写真をとるようになってからは、さらにデジタル化が進んだ。

それで、どうなったかというと別に変わったことはないけど、けっこう色んなことを人に教えることが出来るようになった。

ケータイを持つまではデジタルのサイクルの外にいたから、世界で何が起きているのかまったくわからなくて、アナログという記憶の温かさだけを頼りに生きていたからデジタル化する社会に対しては反感と憤りしかなかったような気がする。

デジタル化を遂げた今、僕は少し賢くなったような気がする。

中央線に住んでいるときは、古い価値観でモノを考えていて、それはそれでよかったけど、それはとても限定的で、思いあがっていて、中央線文化に頼りすぎていた。

つまり胃の中の蛙。

世界は常に自分以外の場所にあるということ。

あの時、僕にケータイを持つようにすすめてくれた、何人かの人。

今はとても感謝しています。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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