努力について考えてみた

今日はまた一つ生きる目標が確定した。

ただ、楽しみが増えただけなんだけど、新しいものというものは、探しても見つからないもので、日々の地道な感情の積み重ねで見えてくるのである。

僕は努力をしたと思えるのは、高校2年生の夏から冬のほんの少しの間で、このときは死ぬ気で野球をやった。

春のセンバツが決まっていたから、その冬がんばってベンチに入れればテレビに映るという安易な考え。

もともとベンチに入れる奴は、レギュラーになりたくて、ベンチに甘んじているというのに、僕はセンバツの17人に入りたいという志の低さ。

努力してもすぐに結果につながらないということは人生の大きな秘密で、それを知るには努力しないといけないというのも人生だ。

あとから振り返ると補欠として「なにか」を知るというのはサイコーにロックで、「今がこうだからって腐ることはない」ということを教えてもらった。

もちろん23歳から30歳ぐらいまでの7年ぐらいは努力というより苦労で、ほんとはこっちの方が実になっている。

どんなカタチでもどん底を知っているなら、今がいいし、この先もっとよくなるだろう。

※今週のR25の石田衣良のコラムよかった。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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