花の価値のわかる男にならないといけない

夕方に雨がやんだので、池袋にある本屋へ向かった。

最近の僕は一か月に一冊、本を買うか買わないかと渋くなってしまったけど、週に一回ぐらいは大きい本屋へ行く。

今日は、ひさびさに本を買った。

『ボールのようなことば。』糸井重里

ジャケ買いである。

本屋でみたら手にとってみてほしい一冊。

その中の言葉がよかったので今日は久しぶりに書こうと思った。

最近はどんな感じやっているだろうか。

朝は冬より少し目覚めがよくなったし、体重も少しずつ減ってきて、身体も絞れて夏用に変わってきた。

腹筋も腕立ても戻ってきた。

今年は何より、足が痛くない。

とりあえず汗をかくことを忘れてはいけない。

好きなものはそんなに変わっていない。

今も『羊をめぐる冒険』を読んでいるし、音楽もずっと同じものばかり聴いているし、ひたすらコーヒーを飲み続けている。

こないだ実家のある三重にも行ったんだけど、食べるものがおいしかったな。

85歳のおばあちゃんに土産を買っていったら、僕のことを兄貴と間違えていたけど、別に訂正もしなかったら、別れ際に庭に咲いている花の木(枝)をボキッて折って、「なんにもないけど」と言って手渡してくれた。

家で母に「これ、ばあやんにもろた」と言ったら、母は「もうだいぶおかしいな」と言いながらそれを花瓶に活けた。

ばあちゃんとオカンは親子で同じ誕生日である。

玄関の花瓶に活けられた花を見ながら、こういう世界があるんだよと自分に言い聞かせていた。

花の価値のわかる男にならないといけないなと思った。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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