雪が降った。
僕はこの雪の日をなんとなく覚えているだろう。
いつでもそうだ。
僕は雪の日のことは後になってもずっと覚えている。
昨年、半年ぐらいかけて書いた話があるんだけど、そういう雪の日のことを思って書いたんだというのを覚えていて、今、なんとなく思いだした。
僕らの歳は成人式が大雪の日で、僕は三重だったからよかったけど、東京の方は雪がひどかった。
そんときに三重から東京の友達と電話で話した内容とかも今、はっきり覚えていて、それはTBSかなんかのニュース映像で、雪の渋滞に関して苛立つドライバーにコメントを求めたところ、そのドライバーが返したコメントが絶妙に面白かった。
・・・というだけの話なんだけど、今でもまとまった雪が東京に降る度に、その話になる。
それはそれでこころ楽しいことである。
また昔話かよ、と思われがちだけど、実はこの手の昔話に関して僕なりの考えができていて、毎年、雪が降れば思い出すとか、毎年、誕生日になったら思い出すこととかは、それ自体、時間が止まった思い出だけども、繰り返し、繰り返し、使われる映像だったりするので、もはや過去の単なる思い出ではなくて、ある種の未来なんだということである。
つまり、次のその雪の日が来たとき、やっぱり一番、自分のこころを芯から、あたためてくれるものが、過去の出来事でありながら、それが唯一、確定している未来なんだからである。
とくに未来のことなんて想像しても意味はないということを知ってしまった今(なぜなら、未来が想像したとおりになったことなんかないじゃないか=だから今を大事に生きないといけないんだという意見)自分はなりたいものになれないかもしれない。
でも今の自分の思いに関わっている人々を僕は未来へ連れていくことができるだろう。
未来を作っているのは、今の自分の思いであることを忘れてはならぬ。
明日は、人助けの為に一日、休みます。
他人の部屋探しをするのは初めてですが、僕なりに身に付けた部屋探し力を発揮したいと思います。
兄貴が転勤で東京へやってくるのです。
僕が上京したときに世話をしてくれた兄貴です。
今度は僕が世話をする番なんです。
そしてなるべく近くに住もうと思っています。
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