永すぎた春

例えば、一年後にこうしたいとか、こういう段階を踏んでこうなりたいとか、考えることは意味のないことだと思うようになりました。

やろうとか、やりたいと思ったことは想定するよりまず着手しないと、それに関する大事な時期はあっという間に過ぎて行きます。

いろいろな準備が整って、さあ着手しようと思ったときに、自分にとって大事な時期は準備をする過程に自分のエネルギーの大半を使いきってしまっているのが世の常です。

おカネを貯めてから、やりたいことをしようと思っていると、おカネを貯めているうちに自分の大事な時間は労働とともに使い果たしてしまう。

三島由紀夫の『永すぎた春』は男女の話なんだけど、たぶん上のような内容だったと思う。

唯一僕が好きな三島作品である。

欲しいモノを買おうとおカネを貯めることはけっして悪いことじゃないのに、そういう風に欲しいモノにアプローチするとどうしてもうまくいかない。

どうしてだろう?

なんとなくわかりかけているんだけど、たぶん今はこれが限界だ。

いつか物語に置き変えて考えみたい。

でも、もう少し考えてみます。

考える過程を書きました。

寝る寸前に・・・

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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