朝のうちに大学の近所の歯医者に行き、高田馬場の駅前で弁当を買って帰った。
帰りの道すがら、近所の木蓮がもうすぐ咲くところを見て、もう少しだ、今日もがんばらないとなあと思った。
買ってきた弁当を食べてから、パソコンを立ち上げて、小説を書き始めた。
少しするとコーヒーが飲みたくなったので、キッチンでお湯を沸かした。
湯が湧くのを待っているときに部屋のカーテンが窓をあけたときに風で揺れているみたいに揺れていた。
それからすぐとても大きな音がやってきて、僕は窓を開けて庭の方から外へでた。
それから、迷うことなく外の壁(へい)を飛び越えた。
いつもはカッコばかり気にするけどそのときはぜんぜん気付かなかった。
部屋着のまま、靴もはかず、壁を飛び越えた。
その瞬発力たるや、さすがだったけど、予想反して、道路の方が幾分、低く作られていたため、着地を失敗。左足ねんざ(ノ_・。)
それでも助かったという気持ちのが強かった。
僕は自分の住んでいるアパートが大きく揺れているのを見ていた。
長いこと揺れていた。
一番、怖かったのは音だ。
そして視覚。
ベル付きの目覚まし時計のごとく、僕のアパートが震えていた。
あたりからは犬のなき声、女の人の悲鳴、そして地鳴りと、アスファルトから伝わる、得体も知らないエネルギーだ。
僕は足が震えていた。
どうしてこんなに震えるんだろう?
そうこうしているうちに他の家からも人が飛び出してきた。
靴を履いていないのは僕だけだった。
僕は忘れていたコーヒーの為のお湯をとめに部屋に入った。
部屋は少しだけ乱れていたけど、たいしたことはなかった。
そして次の揺れが来た時、僕は靴を履いて庭にいたのである。
「また来た」とたしかに声にした。
今度は、壁を飛び越えず、出入口扉を開けて出た。
2度目は靴を履いていたからか幾分落ち着いていたけど、それでも一向におさまらない揺れにキモチが折れそうになった。
とても大きい音。
小刻みに震えるアパート。
3度目の強い揺れがおさまってから、僕はまず実家に電話した。
つながらない。
何度かけてもつながらない。
それから次に職場に電話した。
だいたい電話に出る人が決まっているからと思い、電話して無事か確認したかった。
でもつながらない。
何度かけてもつながらない。
僕は服を着替えて、色々なアダプターとペットボトルにお茶をつめて、通帳、本、メガネ、そしてなぜか家族や友達の写真を持って出かけた。
明治通りは池袋から流れてくる人の波で僕はこういうシーンをなにかの物語で観たと思った。
大勢の人に混ざって歩いているとき、このまま一人でいたらいけないと僕は思った。
僕が向かうべき場所は職場しかないと思った。
とりあえず知ってる何人かに会って、なにか笑っておかないとおさまらないと思った。
それからねんざした足を引きづって、職場についた。
やはり建物がしっかりしているのか、職場ではとくに大きな被害はなかったようだ。
僕が店にいくと、みんな何しに来たのかというので、拍子ぬけてしまった。
「心配で来た」と僕が言うと彼らが抱えているのが不安であることと、安心を求めていることを感じた。
それから職場の仲のよい人たちとしばらく話をして、二人で僕の家へ行くことにした。
コーヒーを飲みながらいつものように本や音楽の話をした。
それでも僕は気が高ぶっていて、いまひとついつものように落ち着いて話ができなかった。
彼は僕とは違う意味で興奮していた。
いわゆる大物である。
彼は自分の家のこともあるのに、ずっと僕に付き合ってくれて夜遅くまで話をしてくれた。
こういう友達がいてくれることに感謝したいです。
ありがとう。
彼が帰った後、更なる余震が来て不安は募った。
一人で暮らしているということはこういうことなのかと思った。
それでも何人かが連絡くれたから助かった。
高校時代の友達の水谷は2年ぶりに電話をくれた。
僕らは別に喧嘩別れしていたわけでもないけど電話できなかった。
こんなときに2年ぶりの友達と話ができるのは嬉しいかぎり。
それからは、昨日と今朝のブログのとおり、僕はラジオを聞きながら、ツイッターとときどきテレビを見て、いつでも外へ出られる格好で、一夜を過ごした。
とても心細い時間を過ごした。
早く夜が明けてくれと思い、願い、祈った。
朝が来て、少し眠りについた。
それから引き続き三重県からメールをいくつかもらい少しずつ現実になじんできた。
テレビではこれから僕らが受けとめないといけない現実が映っていた。
それから僕は黙り込んだまま一日を過ごした。
書いていることで、少しずつ落ち着くということもあり、昨日から今朝までのことを書いてみました。
今でも余震が来るたびにキモチが折れそうになるけど、一人だけど一人じゃないというところで、なんとか前向きな言葉を書いていけたらと思います。
今ははやく月曜からの普通の生活がしたいです。
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