正義と孤独

なにかを追いかけているときの脳はきっとあまり健全に働いていないのだろう。

ブログの時間になっても何ひとつ具体的な言葉が浮かんでこない。

なんでもいい、今日の昼ゴハン、晩ゴハン。

そういうもので、話題をつくって、さらりと書いたら嫌われないのだろうけど、性格なんだろう。

できない。

今、追いかけているのは、ある孤独についてです。

もちろんそれは戦火の絶望的な孤独ではありません。

民主主義日本の中にありがちな孤独です。

彼らの孤独は、ある時には自由という言葉に置き換えられます。

そういう自由はときどき大きな力でもって取り締まられる。

彼らを見て、ある人は自業自得だとか、自己責任だとか言う。

テレビを見て吊るしあげられる人を見て、ほんとにそうだろうかと僕は思う。

そして居丈高に正義を語る人を見るたびに、『壁と卵』の演説を思い出す。

正義を正義という言葉で表現する人間は『壁』である。

そして自分なりの正義を持つ人間は、もろい『卵』となり、つぶされる。

はたして彼は声をひそめることで孤独となり自由を獲得したが、それは決して僕らが望んだ自由ではない。

もう一つ今、考えていることは夏ぐらいまでにはツイッターへ切り替えて、ブログには少しがんばって書いた文章を載せていきたいと思っています。

よろしくお願いします。

https://x.com/towamurakawa

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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