ずっと村上春樹『沈黙』のことを考えていた。理想を守るために、理想を語らず。

今年はどんな年だったんだろう。

僕は何も大きな出来事はなかったような気がする。

でも、とても充実した一年だったような気がする。

なにより自分を他人に説明する必要がなかった。

なんとでも思ってくれという感じで暮らしていた。

だれかに媚びることもなかったのは、自分の感覚を信じていたから。

そういう僕の態度が腹立つ人も少しはいただろうな。

村上春樹に『沈黙 』という小説があるんだけど、その中で主人公が味わっているある種の『沈黙』をイメージして暮らしていた。

簡単に沈黙といっても色々あるんだけど、僕はとにかく言葉に頼らないという自分なりの思想を持って、かなり我慢に我慢を重ねてきた気がする。

もっともそうするにはきちんと確信に近い理想があるからで、普段、僕が考えていることを言葉にできないからで、言葉に出来ないことで苛立つからで、ただただ『沈黙』という言葉を頭の中で唱えていた。

もちろん僕の根底に彼ほど、打ちひしがれる想いというものはないんだけど、それでもやはり『沈黙』に耐えなきゃいけない局面は時々、やってきてその都度、僕はその小説のことを思い出していた。

『沈黙』は誰もが守るべきものであるが、集団の心理がそれを許さない。

集団の心理が堅い壁として立ちはだかる。

僕ら個人はあくまで柔らかい卵として生きている。

周囲の声より、一人の孤独な声に耳を傾けることができたら、きっとこの意味のない『沈黙』から僕らは解放されるだろう。

理想を守るために、理想を語らず、僕はただただ意味のない沈黙の中にいる。

最近、理想という言葉を使わなくなった人たちもやはりそんな沈黙の中にいるのだろうか。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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