矢追純一に夢中になっている頃から

・・・それで来年はどうするかというのは僕なりに考えていて、たぶん考えていることは言葉にするより行動するべきだから、具体的には言わないけど(値打ちこきィ)。

今年はとてものほほんと暮らした一年である。

あらゆる部分で人に同調していたところがあったからとても楽だった。

ただの生活というものをとても大切にしていたような気がする。

たとえば食べるものをほとんど自分で作って、野菜中心<大豆、穀物<肉の順番にカラダに入れることで、もう一度基礎体力を作り直そうとがんばったり、アルコールを飲まず、夜は眠くなるまで布団に入らず、入ったら即寝るということを習慣にすることが出来、おそらくそれがこころの安定につながったと思われる。

どれも思えばとてもつまらないことばかりだったけど、意識して、自分を大事にした結果である。

そういう風に毎日、自分で選んで決めてモノにする生活をしているうちに、感覚はとてもスッキリしてあらゆることに迷いがなくなると感じた一年でもあった。

なにをえらそーなことばっかり言ってと思うかもしれないけど、ここはそういうえらそーなことを言う為の場である。

なので来年は、もう少し自分の理想を追う努力をしようと思います。

三番目に大事なものへ三番目だということをきちんと語れるように。

(12月22日の分)

(12月23日の分)

来たるべき新時代(第六の時代)は怖い話だった。

昨日の『やりすぎ都市伝説』は凄かった。

飲み会で見れなかったのでビデオを取っておいて、今朝、一番で見た。

ひとくくりで3時間あるんだけど、今日一日で夜までに3回も見てしまった。

今、4回目を見てる・・・

好きだ、この話。

なにに似ているのかと思ったら、

『ターミネーター2』とか『20世紀少年』とか『1Q84』とかなんとなく引きこまれてしまうモノの作り方に似ている。

テレビの作り方は勉強になる。

それで、凄いと思ったのは、UFOや宇宙人に対する人々の意識なんだけど、昔、僕が矢追純一に夢中になっている頃、(昔から、好きだったのか・・)周りの大人(司会者やスタジオ観覧の人々)の反応は半信半疑の下ぐらいで、矢追純一は一生懸命喋るのにどこか信じてもらえていなかったというか、UFOも宇宙人もいないような仕切り方だった・・・

・・・が、今、『やりすぎ』の関暁夫の言うことを、スタジオの人ほとんどが信じていて、その解説に酔ってさえいるような気がして、もうUFOも宇宙人もいる前提で話が進んでいるのである。

凄いと思いながら、僕は千円札を取り出して、なんども野口英世の顔を半分に折っていた。

千円札の顔の右と左とでは人種が違う理由を、明日の職場でさっそく人に話している自分を思い浮かべながら。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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