逃げた思い出

病は気からというのは本当で、ひょっとして自分は弱っているという感覚から、現実に向き合えなくなる。

現実に向き合えなくなった人にあんまり無理しないでとか、少し休んだらとか、周りはやさしい声をかけないと気が治まらないから声をかける。

でも、僕は声はかけない。

たぶん、僕自身がすごく孤独に物事をとらえているからだ。

仕事を辞める人間を引きとめるということもしない。

夢を諦めて田舎に帰るという人間をひきとめもしない。

例えば誰かを遊びに誘うときも同じで、断られてもいいように誘う。

わけもなく行きたくない。

わけもなく会いたくない。

というのも理由で、厭なものは厭なんだという理由を正当な理由として扱えない人間はたぶん、結論を出す前の人間に、やさしい言葉を投げかけるんだ。

昔、僕は友人にテレビの仕事を紹介してもらったんだけど、いざその仕事を始めるという間際にバックレテしまい、紹介してくれた友人にえらい怒られたことがあり、お前が興味があるからというから紹介したんだぞ、それなのになぜ逃げたのかの理由を訊かれて、いろいろと理由を述べたけど、結局は「なんか厭になった」だけだった。

それだけのことを説明するのも無理だし、説明を求められることにきちんとした理由のない自分を追い詰められていることにも苛立った。

そういうことがある度にバイトを辞めて、引っ越して、街から街へと姿を消したものだ。

だからといって東京に居場所がなかったわけではない。

今、厭だということにきちんとした理由のあることを僕は説明できるけど、説明しないで、ただ音楽と小説と笑いを求めて生きている。

説明されないとわからないものは、説明されてもよくわからないだろうから。

あのとき僕は追いつめれらていた。

逃げるしかなったんだ。

あのときうまく逃げきれたから、なんとか今も生きているんだ。

ほんとに。

僕が今でもキャンバス地のスニーカーを履いているのは、いつでもダッシュで逃げるためなんだ。

ほんとに。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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