好きになるまでの時間

桜の季節がやってきた。

僕にとって好きな桜は、今の神田川の桜と、昔の井の頭公園の桜。

桜の木の下で、話したことは全部、本当のことだったと思う。

でも、桜の花が咲いている時間だけ本当のことだったとも思う。

花はいずれ散ります。

でも、僕は花をやはり愛おしく思う。

最近は随分、生きにくい世の中になったとか、消費税があがっても景気はよくならないとか、言ってるけど、既に手の中にある自由を誰もが進んで拒否している気がする。

尾崎が自由を歌っていた頃から僕らはずっと自由だった。

桜の木の下で、酒を飲むという決まりごとに自分をはめることで自由を感じるなら、そうすればいいけど、そういうときは大勢の中にいても、なぜか孤独でいて、寂しさを満たしてくれるものはどこにもない。

ほんとは自分が桜の季節に桜より愛せるものがあれば、それでよくて、桜の下のどんちゃん騒ぎも、酒の飲めない僕からしたら、ぜんぜんありがたくない。

それを見てただ、ただ寂しいなと思う。

知り合ったばかりの頃になにげなく一緒にコーヒーを飲みに言ったら、閉店ぎりぎりまで話していたこととか。

終電が来るまで、改札近くで話していたこととか。

一人になったときの寂しさとか。

話はもう終わっているのに、今でも終わらないで話している感覚が残っている。

どこへもいけない。

どこへもいこうとしてない。

ただずっと遠くを見ている。

花はあじさい、コーヒーと小説。

音楽と静寂。

それだけあればいい。

昔の友人が元気で性格など変わらずいてくれればたぶん僕は嬉しい。

会わなくても。

孤独を理解するというのはそういうもので、孤独じゃない人はいない。

最近は、ずっとクリープハイプを聴いている。

やっぱ甘酸っぱくて、切ないのが好きだ。

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この記事を書いた人

三重県生まれ。現在は給食調理員をしながら両親と3人で暮らしています。趣味の読書と音楽鑑賞に加えて、自分でも様々なものを書いています。

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