気に入ったCD一枚を聴き倒すということに意味があるのかどうかわからないけど、先週から、ずっと続けている。
休憩中もずっとウォークマンで聴いている。
落語とか、ラジオとか聴く感じで、繰り返し聴いている。
ロックというか、僕はその歌手の声が好きで、指原の声もそうだけど、ずっと聴いていたい。
声の持つ秘密を僕は知っているんだ。
10年ぐらい前、僕はケータイを持ってなくて、家の留守電話ばっかだったんだけど、その電話機には、10年ぐらい前に仲良かった人たちが入れてくれたメッセージが入っていて、ほとんどが、僕のことを心配してくれているようなメッセージが入っている。
最近どう? とか、最近、なにしてんだよ? とか
なんだよ、居ねえのかよ、とか、別に要はないけど、どうしてるかなあ? とか。
ふん、余計なお世話だよ、と今では思うことだけど、僕を気遣うやさしさがビシバシ感じられると同時に、僕の破滅を期待している声がいくつかあったな。
昨日も古い友人と電話で話したけど、声で寂しさとかなんかわかるな。
僕の声は沈んだりしないから、尚更だろうな。
今でも小説やってるの?
と訊かれて僕は、まあ一応と答えたけど、別に、他にやることがないからだとは言わなかったよ。
僕だって色んなものを割り切って、小説書いているわけだ。
そんな小さな寂しさとか、俺に見せてくれるなよ。
哀愁は大切にしたほうがいい。
そのうち、いいことがきっとあるから。
ボストン、ニューヨークへの夢がまた大きくなった昨日、今日。
いつか住めるよ、いつか。
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